東京エレクトロンとキーエンスの株高の背景に見え隠れするもの

 まあ俺が言う事でもないのかもであるのは最初に断っとく。

 東京エレクトロンキーエンスというと知らない人もいるかもだが証券市場では爆上がりで有名な銘柄である。エレクトロンとは物理学で習う電子の意味で半導体関連。キーエンスはサイエンス(科学)のキー(鍵)ということで電子顕微鏡及び各種測定器のメーカーである。

 俺には1年ほどキーエンスの営業がかかっていた。葉緑体の研究でもしようかと顕微鏡をネットでポチったら、営業がかかって買取ではなく貸出で月額負担の顕微鏡の営業がかかり「値段は大したことないですけど」と電話で言われるものの幾らか分からず、お医者さん界隈では研究成果を奪われ悪質であるという噂と、同居の親父が「そんな株も上がってて給料も高い会社のモン安いわけないやろ!」と反対で、結局1年ほど案内資料を放っておいて最近断ったわけだが、ふと考えたのだ。

 ノーベル賞とかは化学の新発見を表彰するけど、それに至る基礎研究は対象研究の基礎分野だけではなく、計算機の速度アップや顕微鏡の精度アップに裏打ちされて初めてわかることも多々あるであろう中で、コンピュータが売れたら富士通とかのメーカーの売上になるし、顕微鏡も賃貸の料金を割り増しする位しか財源がなく、担当営業が付いてその顕微鏡で何をのぞくのかというところを探って共同研究とするしか益が無い。

 その辺のことが、既に投資家と経営者は分かってて、せめて株を爆上げして従業員の給料を増やすことで褒章しているのであろうが、分からない人にはすこぶる怪しい会社という事に見られがちであろう。

 まあ、俺の研究はというと実績として認められたのはコンピュータ将棋電竜戦の駒利き評価というやつだけど、実はその後4年くらい細々と時々だけど続けて、ストックフィッシュのものより将棋に寄った独自の評価関数を作ったのだけど、研究費はというと電竜戦の参加料を払っているくらいで、実は1円にもなっていないのである。

 期待評価値とかも良い感じに出来たのにナーと思うんだけど、その間にマシンも古くなって、将棋に勝つという意味での総合的な実績への寄与度で行くと手遅れかなと。

 まあがめつく取らなくても、給料という意味では右も左も分からない若手の頃にしっかりもらったって言っても基本給20万残業手当5万くらいだったけど、奈良でシュークリーム作ったり服売ったりスイミングスクールのインストラクターとか、そういうありふれた仕事をしていた動機から25万って言ったらもらい過ぎやって言われるばかりの20代でした。

 まあね、平成24年って12年前か。その時に応用情報取ろうとして、資格手当が確か1万5千円だったと思う。情報処理技術者も国家試験だけど、大病院とか弁護士事務所が有資格者の集団として仕事をするように、情報処理でも個人事業でSEを出来る人と、企業所属でやる人がいるのよ。あの頃はプログラミングってのが出来るってのでほとんどの人が良い給料で横並びだったと思う。エクセル打って生活残業してるだけの同僚より俺のが出来るんだって思ってたけど、今思うと団栗の背比べだったと思う。

 んで最初に言ったように見えないのが「で、結局何になったのか」って所だと思う。誰しもが携帯端末を持って、情報流通量が増えて行政サービスもITになって、半導体関連事業は既に社会に広く浸透しているとは思う。その結果というのはノーベル賞とか代表者がいてこうなりましたって結果の出るものではなく、若い人にとっては身近過ぎて分からない社会のゆるやかな変容だと思ってる。

 だからまあ、それ以上は説明しづらいんだけど、俺も十分に恩恵にあずかったと思ってるけど、現役ほどの給料をもらえていないのがやや不満に思う事もある。

 文句を言わずにGoとかRustなどの最新言語を覚えて現場復帰とか考えることもあるけど、ホントに今の引きこもり生活よりどっかにスーツで通うほうが幸せかって天秤にかけているところもある。葉緑体の研究はというとやろうかなと思ったけど、どっか行っちゃったな。顕微鏡も結局買わなかった(借りなかった)

 株にも手を出したことはあるけど、社名とか事業内容とか俺が知っている範囲のものは既に時代遅れなのだろうと思うことにしている。あるのも知らないようなものが次の時代の先端になるのだろうと。半導体、製薬、紡績が成長産業である常識を20年前に投資家が知っていて、その投資から雇用が生まれて俺の仕事があったのだ。

 でも俺の人生、諦めきるには俺だってまだまだ若いと思っている(おっさん)

 まあ今日の夕飯の「チキンと夏野菜カレー」が旨かったのとビール飲んだので今日の酔っぱらいの昔話ここまで。出来れば長生きして未来を見たいと思うけど、長生きで見られる数十年とかじゃなく、数百年とか科学が進歩し続けたら景色はどんなになっているだろうって思うんだけど、景色って建築と庭園仕事で出来上がるもので、西洋からそれが来た明治大正期の建物や庭園が立派で、田舎の景色ではなく都会は歪になって行くものかもしれんよなとか深夜番組のトラムの旅とか見ながら思ってた。

 


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