モーニングの古雑誌を物置に積んでいる話

 今朝はカフェオレを飲んでから、食パンの片面にマヨネーズをたっぷり塗ってオーブントースターで焼いた「マヨトースト」を食った。簡易ピザだ。マヨネーズはタンパク質なのでピザのチーズと栄養価が似ている。

 トルネコ異世界は休むこととした。ゲームに強くなるというライフプランは相撲界や球界のようにゲーム界があり、そこで勝って君臨する未来図を描いて始めたものだが、そんな世界本当にあるだろうかと不意に疑うこととなった。平等な社会が未来図なら、勝ったものが偉い社会というのは縮小するはずだから。

 2019年のヤンジャンがまだ部屋にある。掃除のときに乱雑に積んであったものをスチール棚に並べ直して、その中で日付の最も古いものだ。その前はヤングジャンプを取っていた。ブログの過去ログをチェックすると2018年の10月からである。

 オタクにもマンガが好きでマンガの世界を良く知ることが武器になっていると考えた俺は、オタクにマンガ力で負けている事を何処か引け目に感じてマンガを取ることとした。子供の頃は週刊少年ジャンプを取っていた。これは漫画雑誌を取るものが全員体験する事なのであるが、週間のマンガ雑誌を手に取って読んでみてもいつどこから何が始まっているのか全く分からない短い話の集合であろう。

 マンガの雑誌は現代では人気漫画の広告で、短い話を読ませて気に入ったものを単行本で買いそろえてもらうと利益が出る仕組みで、週刊誌そのものを定期購読されると赤字が出るという噂を小耳に挟んだ。確かに紙面を量で見ると、週刊誌が最も割安である。噂の真偽が真なら、マンガ雑誌を定期購読すると黒字として現金が増えるわけではないが、値段分のマンガを買う方法としては最も割が良いわけである。

 子供の頃に少年ジャンプを読み始め、数冊貯めてそればかり読むので親に「もう捨てろ」と捨てられた俺はその事を悔いており、今回はヤングジャンプとモーニングをためて捨てずに置いておいたのである。置き場がある広い家に住んでいる自慢のようでお怒りの方もおられるかもだが、そこはお詫びして、とかく物置やラックなど置ける場所にマンガをためたのである。

 受験勉強が反復による記憶の定着であるということから、単行本の方が良いとされるのも続いた話を反復的に読んで創作世界が記憶に定着するからだと俺は考える。だから、週刊誌を毎週取ってマンガの世界が広がるかというと、テレビやラジオの放送と同じで、流れていていつから何が始まったのかどういう話か分からないものが読み捨てられるものだから、忘れられてしまうものだと思う。実際、古い雑誌をもう一度読むと「あー、読んだ読んだ」という懐かしさではなく絵柄に見覚えがある程度で「あれ?どんな話だっけ」と思ってもういちど読むのだ。置いておいて良かった。どこかでは覚えているかもしれないが、ひと目で懐かしいくらいには定着していない。

 そもそも、現代社会で人は自分が何者か分からないのが普通である。テレビやラジオや週刊誌に囲まれた現代の書店で、いつ何が何処から始まって、自分は何者か分かる情報はない。学校で歴史を学ぶが、高校の世界史も理科の宇宙の始まり、地球と太陽系の誕生、生命の誕生とヒトへの進化論と無矛盾になるよに原人から段々とヒトに進化してメソポタミアなどの四大文明から三国志ローマ帝国キリスト教の誕生につながってゆく。しかし、現代に近づくにつれ詳細で複雑で網羅的では無くなり現代社会や政治経済という科目への変わり目が、ただ「ぼかされている」

 これは聖書でも仏教でも同じことだろう。創成期から始まりキリストの再誕で括られる聖書はつまり回文構造だし、仏教だって皇子の生まれのお釈迦様が出家して菩提樹の下でお説法をする話だが、皇子のいる世界が現代では無いし、末法にはお釈迦様の生まれ変わりがまた現れるということで括られる。

 それと同様に、単行本でマンガを揃えると話に始まりと終わりがあり、その異世界があることでオタクは精神を安定させている。俺にはそれが無く、週刊誌の飛び飛びの話の連続体であの話は結局何だったんだろうと悩む時期があった。最近NHKの連ドラを3~4年観たので随分その辺はマシになったが、小学校時代に始まったドラゴンボールがピッコロ大魔王を倒すことで一件落着しそうなのに、人気があって読者がいるからと編集者やファンの都合で鳥山明先生がマンガの絵を描いて、話は編集部が作っていつまでも続く構造に中学生くらいで辟易して、それから俺はマンガを毛嫌いするようになり、ファミコンやゲーセンの新作ゲームを夢中で追う趣味に変わったのだ。

 毛嫌いしたはずのマンガやオタク文化が注目を集めるのはどこか不愉快だったが、小学校の頃は好きだった。いまさら冒険譚やバトルものをやり直すことも出来ず、ヤンジャンのグラビアとエッチマンガが付いた恋愛ものを取ることとした。それが2018年のことだ。ちょっと気恥ずかしかったが、退職して社会とのつながりが希薄になった俺にとって、毎週書店に雑誌を買いに行く習慣が出来たのは、店をしている人からも安心感があったようである。

 ヤンジャンは青年誌なので、オッサンになったらモーニングを取ろうと思ったのが2019年なのだろう。2021年までモーニングがある。モーニングを取る姿は政治家麻生太郎の「マンガを読むと時代が見える」発言に影響されたのだろうと街のご婦人方はクスクスと笑うのだが、まあ影響が全くないわけではなく、実際に退職したので社会の事をマンガででも知ろうというのがモーニングの購入動機であるわけだ。

 モーニングは「課長 島耕作」で有名になったオッサンマンガ雑誌で、今ではお医者さんとか警察官など働く人の日常を書き表したマンガ雑誌である。オッサンに成ったら取ろうというか、もうオッサンだからと思ったのは42歳では早すぎて、今あらためて読むともっと話がスッと入って来る。置いておいたのだから時事としては古くなっているだろうと思うが、それでも、仕事の責任や人間関係が主役目線に近寄ったと思うから。

 その意味では昨日まで続けていたトルネコ異世界は俺は圧倒的にトルネコ親父に感情移入して遊んでいるが、実況などのメインストリームはポポロ中心である。これが世代ギャップという奴か。プレイヤーの年代層も分かろうと言うもの。まあ、モンスターが仲間になるのが楽しいのやもしれんがな。昨日も書いたっけ。

 書いたブログをサーバーエラーで一旦不意に消失してしまい、もういちど書けるかと心配だったが、論旨としてはほぼ同じものをもういちど書けたと思っている。偉い偉い。今度はバックアップもした。最近は便利になってエラーも稀なので、安心して雑にブラウザ開いてカタカタと書き始めてしまう。パソコンやネットのエラーで原稿が不意になるなんて、何年ぶりだろうなと思ったわ。

 モーニングの似合うオッサンに成れているだろうか?と言いつつ若く居たいとも。


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