昨晩の麻雀(コンピュータに四暗刻単騎を食らうの巻)

じゃじゃーん!

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俺の麻雀遍歴の中でサラリーマンになって最初に打った麻雀の初手二巡目で四暗刻単騎をロンされて「社会人になると給料狙われてイカサマされる」みたいなジンクスを感じていたのですが、まあ長いことやっていると食らう時は食らうし、それと同じことがあの時に巡っただけなのかもと考えるとジンクスから脱却できそう。負けて脱却というのも変な話だが、勝ってのめりこむより良いかもだ。

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麻雀でお金稼げたら良いのになって思っていた頃は外食で1200円くらいのとんかつ定食を食っていたし、コンビニに入ったら弁当とペットボトルとデザートとかを買っていた。

近頃では外食はうどんか定食で280円から700円くらいまで。コンビニでは肉まんやフランクフルトにおにぎりとかでなんだかんだ300円くらいで済ます。

ゲームの新機種も買わなくなった。俺はPS23DSで満足している。昔欲しかったゲームソフトのスーファミソニックウイングスヤフオク等でも高値だったが、ジモティーで出品している人が数人いてみなスーファミ本体と麻雀ソフトと抱き合わせだった。結局は単品で入手できたのだが、欲しいものが麻雀と抱き合わせというのに不思議な巡り合わせを感じたのは確かだ。もちろん、それを買ってゲーセンでシューティングしなくなった。

そういう生活を続けていると不思議と麻雀で勝ちたいとか、マジックザギャザリングの大会で優勝したいとか、ストリートファイター以下略みたいなことは考えなくなった。

財布には39000円入っていて、しかしそれらはダイソーやドラッグストアで日用品を買い、ディスカウントストアでクリアアサヒを買い、朝食のパン、昼食のカップ麺、夕食の弁当などにゆるやかに変換されてゆく。何日分という勘定は常に働いている。

キムタク新ドラマ「グランメゾン東京」を見ていると高級フレンチのコースが放送されているし、ぐるナイゴチなんかもたまに見るが、自分で食うのは基本的にスーパーの弁当だ。ミシュランガイドを買って三つ星を食べ歩こうとしていたことがあるが、まだ早いと周囲に咎められ、ミシュラン自体がホットペッパーみたいなグルメ誌とは違って旅行ガイドと一緒で本で気分を味わうためのものではないかと指摘もされた。

マンガ「近代麻雀」みたいなヤバイ勝負がしたいと思っていたこともある。ミシュランで写真と文章だけで店の雰囲気と料理を楽しむように、高校くらいでの麻雀体験は近代麻雀での疑似体験がほとんどだった。本当に料理や酒が出るような会員制の高級雀荘で初対面の人を交えて何万円も賭けて打ったという経験が話にしても読みて聞き手によってはマンガのような話だろう。

あの1回で多分良かったんだろうなと思う。俺はあれからメンタンピンの基礎的な麻雀からもっと深い麻雀に自分でソフトを作ってみたり市販品を遊び込んだりして多分強くなった。どこかでまた試したい思いはくすぶっている。それハチワンダイバーメイドさんに50万円持って行かれるシナリオとどう違うねんって話やけど。

今日のスパロボ(1プレイ2時間以上かかるんだ)

プリキュア仮面ライダーゼロワン・リュウソウジャーを見てからスパロボを。

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7面クリア時点で昼飯の時間を過ぎているんだが・・・どこ行った?俺の午前!

あと先日のスパロボが久しぶりすぎて6面クリアのボーナスを取った時。

ローアマダの援護射撃を間違って消してしまっているんだが!!!!

仕方ないからアルトアイゼンとNT-1アレックスを改造して出撃。なんとかなる。

俺はガンダム08MS小隊好きだが0080は見たことがなく、ガンオタの会話で08MS小隊と0080間違えてないかと言われたんだがスパロボIMPACTのEz-8が08MS小隊でNT-1が0080なんよな。最初から2機とも仲間にいるから同じ作品だと思ってた。音楽違うのなんでだろって、気付けよ俺。

まあ、最初の方は出来れば改造無しで進んで後半でも使える強いユニットに改造費回したいみたいな思いは最初にあったけど、どうもそういう選択に尻込みしてなかなかやる時間を作れないで放って置く自分がいるので、途中で負けて詰まっても良いやと気楽に進めるようになって、行き当たりばったりに進めると難易度ちょうどよく感じる。

最近は微積を解いているのだが、確率も捨てたもんじゃないなと

志望大学の数学の受験科目が確率と統計だと分かって、当時そればっかりでした。

それから「数学で確率が得意なら何でも確率で考えてみたらどうか、数学は正しいものの考え方だから、そうしたほうがマトモな考え方になる」とアドバイスを受けて。

ブログを書いていたものだから、この確率的な考え方は図書館に行かずネットで情報を得ようとする人の間でいっときメチャ増えました。読者総数は把握できないけど「ブログが広告収入で儲かるらしい」と噂されて、書くネタがない人がそこらへんの記事をリライトするから、数学なんて取り扱って説得力のあるのが目に止まったのか、とにかく増えた。

自分が少数派で負けていると頑張る性格だった俺はいざ意見が市民権を得ると「本当に俺の意見でいいの?」と考え始めました。確かに偏差値的には優等生、だけど不勉強なところもある。自分に自信がないから、自信をつけるためにもう一度数学をやることにした。

そうして出会ったのが青チャートの微積分で出てくる東京大の過去問。

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これな。

この問題は基礎解析から微積分の出題にされているけど、さいころをコロコロ回転させると極限はどうなるかという問題で、n=1だとある程度の予測はできるけどlim n->∞だと一般的な場合の数と一致するという確率の前段階の証明になっている。

このことから、何度でも再現、挑戦の可能な事柄ならば確率で考えて良いけれど、たった一度の出来事を確率や統計で考えるのは実は適切な考え方とは言えないことを示唆していると考えるように変わってきたんだ。

では、代わりにどういう計算をすればいいか。もっと微分した確率。基礎解析。マクロよりミクロ。反対に俺は確率というマクロ的数学で考えてきたので、41歳になってみて30代に後悔はほとんどない感じ。20代には山のような後悔があるけれどね。

確率だけで考えると短期間だと予測できないことが中長期的視座に立つと予測の範囲に収まるというのは一見すると逆説のように思えるけど、この問題を解くと短期的には3分の1くらいで当たる賭けが中長期的に6分の1に収束するというひとつの無矛盾な体系なんだよな。

もし、サイコロの出目を手の持ち方と転がす方向などから6分の1でなく5分の1で当てられるような術があったら、それを1000回積み重ねた結果というのは恐ろしい差になる。

だから、中長期的には確率で予測を立てて行動するにしても、その時々で現状に合わせてミクロの軌道修正をして行く感覚があるから大雑把な確率「だけ」で見た時にメチャメチャ運の良い人に見えるんだろうな。そういう日々のTipsはいちいち言語化しづらい。リアルタイムにどんどん書かなきゃいけないことが増えるからね。


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