確率論とそうでない何か

確率論 (岩波基礎数学選書)

確率論 (岩波基礎数学選書)

確率論の授業がはじまると幾人かは必ず引っかかる。
サイコロにしたってクジにしたって同様に確からしいということはない。
物理方程式を解くとサイコロの転がり方は投げ方で決まるだろうし、
記憶力が良くて動体視力があるとクジを混ぜても当てるヤツがいる。


そういう前提をまず脇にどけて数学として確率論を勉強する。
確率論とコンピュータを結びつけると必ず乱数というモノに出会う。
(乱数とは何かランダムとは何か、それは自分で検索してください)
乱数はその偏りが少なく均等にまばらなほうが質が良いとされる。
まばらに試してみて、その結果をシラミつぶしに試す事の近似とする。


そういうことに昨年末から思い立って幾つかの実験をしてみた。
今年からシャープに勤める事が決まったので自由時間の締めくくりに、
なにか成果として残る事でもしておこうと思ったわけだ。


ひとつは将棋の対局プログラムで、コンピュータ同士を乱数で戦わせ、
10万局の計算の結果、先手39775勝、後手60225勝となり、
まんべんなく手を選んで指すと後手が有利になる事が分かった。


もうひとつは幅320mmで高さ240mm程度の大きさのキャンバスに、
40色をまばらに着色して絵になるかという実験。
「絵になる」ということの客観的判断がむずかしいところで、
実験結果としては「ジミー大西の絵が芸術ならこれもまた芸術」


10万局の将棋も3万枚(32768枚)の絵も自動で生成される。
それを価値あるものにするには、やはり満遍ない乱数ではなく、
なにか人為的な「狙い」が必要になってくるんじゃないかと考える。
確率的に考えると言う事が、いかに非現実的な抽象思考かということ。


えらく遠回りな道で取り越し苦労をしながら、一番始めの疑問点の、
「同様に確からしい」事象というのが空想の産物だと結論づけたい。
運否天賦に賭けようにも、自分の意思決定を無作為にするのは難しい。