強弱と善悪の二次元の印象で格闘ゲームを斬ってみる

格闘ゲームの作り方として、全キャラのダイアグラムが五分五分が理想だと考えていた。強すぎるキャラや弱すぎるキャラがいると各々が好みでキャラを選んでも公平に対戦できない。これはゲームバランスが悪い駄目なゲームだと単純に考えた。

俺は中学生の頃はゲーセンで勝つために強いキャラを取っていて、大人とやる時は多分丁度いいハンデとして機能してたと思う。「ダルシム強すぎる」言われたらそりゃそうだと。キャラの扱いの上手さも認めては欲しいと内心思いながらも勝つということは100円取るということだから、そこは黙っていた。

しかしKOF95の時にチームエディットでキャラ差が3倍になったとき、俺は強いキャラを3キャラ取った。如月影二、八神庵ハイデルンというチームだ。今思うと当時のSNKのゲームは上手く作ってあった。悪役が強い。強いと悪いが対戦バランスと絵柄や設定のキャラ立てで結びついており、お金を取り上げる勝ち役は即ち悪役になる調整だったのだ。それで俺は強くて悪いを自分のセルフイメージとして持つようになった。

それから、随分経ってストIII3rdでは春麗コスプレイヤーの彼女が春麗を取って勝ったら喜んでくれるかなという小学生のような理由で春麗を使っていた。男子校だったので女の子のことは分からなかった。当時のゲーセン仲間からは「ストZERO3リュウやナッシュを取っていたやつがなんでいきなり春麗やねん?愛?愛?」とかからかわれたものだ。

ストIII3rdの春麗が強キャラかどうかは発売すぐには分からなかった。なにせストIII2ndからやり込んでいる人が引き続き同じキャラを使うのに対してストIII2ndをやっていなかったのに新キャラで対戦するのだから、とにかく必死だった。

そして対戦で勝つようになると、いつからか春麗が強キャラであると言われていることに気付く。中学の頃は攻略本を読んでいたが、いつからか雑誌ライターより強くなり、ゲーセンで自分のやっていることが2ヶ月くらい遅れて攻略本に載っているから読む必要は無いと判断していた。

しかし、攻略本も様相が変わり、対戦バランスよりもコンボの派手さがクローズアップされてユンやユリアンダッドリーあたりが特集されて、大したコンボのない春麗は簡単で強いキャラと書かれているようだった。これは心外で、ゲーセンで対戦している仲間は「春麗強いって書かれてるけど、使ってみると自分から攻める手のない難しいキャラだね」と言ってくれる一方で、中学からの同級生で卒業以来連絡を取っていない筋から電話で「ストIII3rdは春麗使ってるってな。相変わらず強いキャラ好きやのう」などと言われた。

そう言われた俺は攻略雑誌に対して「勝っている人の努力を認めずダイアグラムによる印象操作でプレイヤーを悪者にする在日韓国人の機関紙だ」と噛み付いた。これは後にちょっと間違っていると分かるようになったが、当時はそう思った。そして同級生には「お前らもあんな雑誌を読んで鵜呑みにするから勝てないんだ!パチスロ必勝ガイドを読んでパチスロ打ってみろ!勝てたらカネになるわ!でも世の中そうじゃないからな!」と言った。

今、プレステでカプエス2を出してみてオリコンのベガをやっている。このまま練習したら、果たして昔のように勝てるだろうか。もし勝てたとして、強いキャラに乗り換えているワケだから、ネットで人気者になれるのか。その人気は強いという評価と悪いという評価に二分されるだろう。強いのが好きな人と良いもんが好きな人がいる。カプエス2ならオリコンのベガが強いのは明らかだけど、そのイメージに自分が染まると考えると覚悟が決まらない。

ストIII3rdならケンは結構強い方だけど人気のあるキャラなので、ケンで勝って文句を言われる事はなかった。しかし、その場合はケンの人気が一層高くなり、ケンを叩くのではなくケンが色々の人に取られてケン同士の戦いになる。それを制し、数いるケンの中で一番を目指さないといけない。

そう考えるとキャラバランスの悪い人気のないゲームで強いキャラを取って優勝するほうが人気のあるゲームでしのぎを削るよりはラクだが、得られる人気もそれに批准しているなら努力と結果のバランスは案外良いのかもしれない。

ただまあ、ゲーセンが主流だった時代は勝ち負けイコール賭け金だったから強いが悪いに取られて、格闘ゲームがeスポーツとして認知されると勝ち負けイコール人気不人気になったと捉えるほうが見方としてはニュートラルかもしれんけどね。