なんで今さら怒首領蜂なの?

奈良の土地柄からか新しいものよりゆかりのあるものが好まれて、ゲームも例外にもれず誰かが何かのゲームの話を始めると「もっと古いの言うゲーム」が始まったりする。俺が怒首領蜂と言えば東亜プランの達人の話を始めたりするのだ。確かに達人を制作した東亜プラン怒首領蜂を制作したケイブの前身である、というようなことは公表されている事実ではある。けど、ちょっと古すぎない?というか論点そこじゃない感。
怒首領蜂がそれまでの作品とどう違うかと言うと、自機の飛行機と敵の弾が当たるのは計算の都合で四角形と四角形が重なるかどうかで判定されるその四角形の大きさをそれまでのゲームは飛行機の絵とだいたい重なるように計算されていたものを、怒首領蜂では飛行機の見た目よりずっと小さく真芯を捉えないよと当たらないようにして、その代りに敵がゆっくりの弾をたくさん撃って弾幕を張り画面上に散らばる弾幕の中を動く迷路を抜けるかのように弾避けをするという新基軸の面白さを打ち出したとこ。
怒首領蜂首領蜂の続編であるから、古いの言ったら勝ちゲームだと「首領蜂でしょ」と言えば良いのだが、それならエスプレイドでも達人でもそんなに変わらない。怒首領蜂は単に弾を撃って自機をやっつけるのでなく、マシンスペックを弾を沢山画面上に表示することに専念させて限界まで攻めた最初のゲームだと思っている。オブジェクト数で言えばエイティングバトルガレッガで敵を撃ったら破片が飛び散って、実戦において戦闘機の破片と銃弾を見分けるのは難しいというようなことを表現した例があるけど、怒首領蜂はそこらへんリアルの追求ではなく、テレビゲームとしてのわかり易さで敵の弾は敵の弾、自分の弾は自分の弾、自機は飛行機、敵は変なメカということの視認性を良くした。つまり見やすくした。
進化を系譜で見た時に怒首領蜂は節目にあって、あの作品が他の作品に与えた影響は大きかったよね、という意味で話題に出す。だから自分より若い人が後継作品を話題に出したからといって、もっとオリジナルな怒首領蜂は偉いんだって話ではない。
あれはあの時代の本気のケンカだったと思うんだ。シューティングゲームに100円を入れて負けて文句をいうお客さんというのはたくさんいた。俺はゲーセン店員をしたこともあるしゲームが好きな金持ちボンボンの仲間もいたので達人では「後ろから敵が出てくるなんて反則だ」という話があり、ファミコンスターソルジャーでも高橋名人が「後ろから敵が出てくるのは反則」と言ったが敵は前から出てきても誘導弾を撃ったりする。他にはソニックウイングスの日本ステージのスーパーX登場シーンで有名な都庁レーザーつまり画面真ん中で待っていっるとほとんど前触れ無くレーザーで撃たれ「あ!」と思ってやられてこれも反則と言われた。古いゲーセンゲームは反則も当たり前の無法地帯であったが、ファミコンを買ってくれるお客様として反則と言われる行為で負かすのは良くない。しかし、ゲーセンゲームである以上負かさない訳にはいかない。そこで敵は前から、敵弾はゆっくり、弾の軌道はまっすぐ、そのかわりにオブジェクト数は目一杯、首領蜂にあった必ずボンバーを使わないといけない場面というのも無い。「見せてから殺す」というケンカの売り方が怒首領蜂の男らしさ、フェアプレーなんだよ。
そういう風にケンカを売られたものだから、これはクリアしないと失礼だと思ってやりこんだんだよね。それが元々文句を言っていたのに文句なく作ってもらった他の人が、文句は言わなくなったけど取り合わなかったというのが酷くつまらない。
格闘ゲームシミュレーションRPGなら売れているのにシューティングはここまでお客さんの意見を飲んでも買ってもらえないんだなと言う残念感がいつまでも俺の中で悔いのように残っているんだろう。俺はそれで文句なく買ったのに、文句言ってた人が張り合ってくれないで黙って負けたまま離れていった寂しさとか、別の方面から野次られたりとか、悔しい思いもたくさんした。それ以降は完全に機械相手にひとりでやるのが当たり前になって、感情的には何も湧いてこない。つまり人との関わりがあったシューティングは怒首領蜂で最後なんだ。だからいつまでも心に引っかかってる。何か吐いたら少し楽になった。