人工知能に「想像」をさせる。その結果を言葉で試す。無意味じゃね?

昨晩は酒を飲んでブログを書いたので内容を読み返すと酔っ払いトークだった。

俺は基本的にワープロに文字を打って言葉を考えているので「内容は酔っぱらいトークだった」と打ってから戻って「読み返すと」を挟むという作業フローが手に染み付いており「内容は酔っ払い、読み返すと、読み返すと内容は酔っ払いトークだった」みたいなことを酔っ払うと言う。

だから俺の文章を見て、これが賢い文か馬鹿な文かはさておき、長々と話すやつだと思っていたら、普段は淡白に短い会話しかしないし酔っ払うと言葉の順序がデタラメに話し始めてペラペラ喋ってみんなが疲れたり嫌になったりした頃にようやくまとまってまともな話にひとりで落ち着くということになる。

ところで、テレビで明石家さんまが講堂で高校生相手にトークをしていて学生が「僕は卒業後バスガイドになります」さんま「嘘やん!」学生「本当です(強気に)」さんま「ホンマなんか(弱気に)」というやり取りがあって、なんて無意味なやり取りなんだと思ってみていた。こんな面倒な会話なら話さないほうがマシだと思うタイプだ。

俺が子供の頃は俺ではなく僕だったが、僕はホンマか嘘か頑張ったほうが勝つ、みたいな考え方で、とにかく「ホンマやって、ホンマやって!」と頑張るタイプだった。しかし25歳くらいで絵画販売の詐欺というか、詐欺罪にはならない高利悪徳な画商たちとやり合い、騙されたというか当時は彼らが絵を売らないと明日の飯もないというように泣きついてきて絵の価値がないのを分かりながら買ってやったと思っていたが、その画商が結構いい家に住んで高級車に乗っているのを後から知って、人の話はふんふんと聞くものの、モノを買ってほしいとかお金を貸してほしいとなると聞かなくなった。

学生が卒業後バスガイドになるかならないかは俺には関係のない話なのでとりあえず本当として聞き始めるのだが、さんまが「嘘やん」と返すのは面倒だし、それに証拠を突きつけるのではなく「ホントです」と強気に返すだけで「ホンマなんか」と通ってしまうというのは結局は演技力だけで突破されるわけで、言葉のやり取り自体は無意味だ。

人工知能の話をするつもりが全然関係のない話になってしまったが、コンピュータにカメラを付けてニューラルネットワークを形成する莫大な計算資源があるのに東ロボくんはカメラで白黒の問題用紙を読まされて四択の国語の問題に選択肢を選ぶことでしか対抗を許されていないというのに俺は不満を感じる。

もっと色々なことが出来るのにそれだけでダメ出しかよと思ってしまうからだ。

問題の解き方を考えて、言葉から場面を想像して答えを考える時に、コンピュータが言葉から辞書や教科書のような別の言葉を検索するのではなく、場面を映像で想起する必要があるんじゃないかと一旦考え、しかし画像は画素の並べ方のビットマップでは人が見たら分かるけどコンピュータにとって画面で見て分かるという概念はなくメモリ上に展開してそれはコンピュータにとって想像に当たるのかと考えるとどうも怪しい。

画像を理解するのに画像解析をして得られるメタデータになって初めて認証されるわけだからメタファイルの形で言葉とリンクしなくてはいけない、ということを考え始めた。そのくらいまで想像が進んだところで、そのコンピュータがあると文章を読ませると絵を描けるということになるので、東大より東京芸大を受験させたほうが良いんじゃないかと思うようになった。

そう言えば俺も高校の時に美大に進路を変えないかと言われたなぁ。その美大に行ってればプログラマーとかには成ってなかったかなという思いが画商ではなく画家の方に自分が稼いだお金を回したほうがって、自分の仕事に無意味な感覚を持って臨んでいたことをようやく思い出したよ。コンピュータを使っているのに数字じゃなくて数式の構造計算書をプリンターで打ち出すって、しかも自分は情報二種で普通の月給なのに一級建築士事務所で自分のソフトが使われて建築士の先生はソフト動かしてはんこ突くだけで莫大な金が入る、みたいな想像してたんだよな。

まあまあ、おかわいそうに。過去の自分を上手くなぐさめてやったら、こんな長文書かなくて良いんだ。絵を描くのもビル立てるのも労力の大小はあれ肉体労働ですから。プログラマーは楽な仕事といえば体はラク。しかしやりすぎると頭がしんどい。

頭と体のバランスで考えて、頭がしんどすぎるなら体でする仕事を。体がしんどいなら頭を使う仕事を。AIや機械学習はちょっとの労力で大きな成果が見込める分野に対してハードウェアへの投資をして簡単なプログラムで解決させると得な分野だから、簡単なプログラムでは解けない難題であると分かるなら、違う方法を考えるほうがラク

なんか俺はしんどいことこそやりがいがある、楽な仕事で成果を出すのはインチキみたいな苦労症思想がどっかにあって、それは騙されたことがあるから、いくら儲かるからと言ってもそういう商売に引け目があるってのがあるんだろうな。

自分でもどうせ買うなら価値のある良いものをそれ相応の値段で買いたい。ラクをしているプログラマーのせいで頑張っている凝ったプログラムまで安く見積もられるのも悔しい。プログラムのソースコードの内容なんて誰も気にしないならプログラマーなんてやめて文筆の仕事をしたほうが俺がどんだけ書いたかひと目で分かるだろうと思ってブログを打ち込んでいる。そういうことなんだ。