ギルティギアをもういちどやり込みたい

俺は格闘ゲーム運ゲー論者だが、同時にシューティング実力論者でもあった。

世の格闘ゲーマーにはこの正反対の論者が多く、格闘ゲームこそ実力だと主張する。

二元論的に強いか弱いかで測ると全くわからない水掛け論になりがちだが、まずシューティングの実力とはなんぞやと言うと、パターン作りと操作の精密さで最終的な指標はハイスコアということになる。

ハイスコアはパターンと操作が同じなら誰しも最後は同一になる。よって勝敗が決する格闘ゲームのほうが実力が出る。というのが格闘ゲーム論者の主張だろう。

これはつまりボウリングで両者300点を出してしまうと勝負がつかないというのと同じだ。そうなると耐久レースかサドンデスになり、実際にループ系の古いアーケードゲームが閉店までの耐久レースになるシチュエーションは存在した。

では俺が何故格闘ゲーム運論者になったかというと、一部のゲームで技術的に差が付けられる要素が自分では見つけられない袋小路に入ってしまったことがあるからだ。1フレームの目押しに確定反撃、コンボ選択など、全部出来ているのに弾ジャンケンと投げハメかリバーサルかで勝負が決まる。

これに反論したのはストEX2Plus勢のガイル使いで「自分は今までした勝負の中で最終的に読み合いと皆が言う中で読み合いで勝ったと思ったことは一度もなく常に技術で勝ってきた」と言って、カプエス2でガイル同キャラをしようと楽しみにしていたらブランカバルログ・ガイルという構成でガイルにブランカバルログを当てれば良いという話になって、なんだよキャラ差かよ残念なやつだなと思ったのを思い出した。

そこでもう一度格闘ゲームの実力とはなんぞやと考えると、ガードの固さ、コンボ選択と成功率、確定攻撃の選択と威力、仕掛けのリスクとリターンの判断、そこへジャンケン強さのようなものが上乗せされる。ジャンケンだけで差がついたのでなく、もうジャンケンでしか差が付けられないと思うほど思いつく要素をやり込んだ。つもりだった。

ジャンケンはジャンケンであると受け入れて、ジャンケンに強くなろうと考えてから見えてきた要素というものが無いわけではない。だが、そうしているうちにやりこまなくなり歳も喰い、だらだらしてその他の要素のやりこみが劣化してきて、そこまで落ちぶれて初めて「ああ、あの時に持っていたものが実力だったのか」と噛み締めた。

そこで、あらためて格闘ゲームの中でも要素の多いギルティギアをジャンケン以外の要素がなくなるくらいまで煮詰めてみるのも面白いかなと思ってみた。差がつかないと思っていたのは俺がやり込んでいるカプコンのゲームが古かっただけで、強いプレイヤーは新しいゲームに行くから新しい要素をいかに早く使いこなすかと、既に答えが出て正しく操作できるかという手練の技がぶつかっている。

その状態で新規対古参みたいに変に張り合わず、新しいことにちゃんと順応しようと。俺はアクセル・ソル使いだけど家庭用でジョニーとエディも練習したし、梅喧はコンボが出来ずにあきらめた。ストIII3rdもリュウケン春麗レミーとかで戦ってたけどユリアンやネクロのコンボとか知らないし、家庭用でダッドリーを遊んでみると面白かったりしたわけで、そんな状態でストIIXで波動昇龍とソニックサマーでジャンケン勝ったほうが勝つとか言ってると、新しいゲーマーから「ハァ?」と思われていて、いやギルティギアとかカプコンのヴァンパイアと同じでしょと言っても知らない人も多いわけで。

ストIIなら8キャラ全員やり込んでダイアグラムを作って、その中でガイルとダルシムを選んだわけで、ダッシュでベガバルログ、ターボでリュウケン、ちゃんと使えたから勝てていたわけで。その頃からやっていると言っても新しいゲームのことを知らないなら戦歴はほぼ無関係なわけだから、ギルティギアの全キャラやりこみとかをしてみて、それで初めて今のゲームの全体像が見えるわけで、同じようなゲームの延長だからやり込んだ先にあるものも恐らく運だろうという簡単な推論でなく、やってみたら自分と同じくらいやり込もうとする人がだんだん減っていくその感覚を思い出せるかなと。

その先で続けた人への敬意を社交辞令的や作法でなく、対戦で示せると思うんだ。