活字とゲームの関係性(というほど大した考察ではないが)

ファミコングラディウスは名作であるが、俺が小学生の頃にはたけしの挑戦状と差し替えてまぜこぜで遊んでいて、どちらのほうが面白いということはなかった。

だが、中学くらいで中古ゲーム買い取りショップが出来始めて、面白さと値段の相関関係を考えるようになった。グラディウスの買い取りは安かったが、楽しいし「たけ挑」はなんだか妙にプレミアで他のゲームと買い替えられるなら売っても良いと判断した。

中古ゲームショップの買取価格は販売価格より安いので、俺は高く買い取られるゲームと安く売られているゲームで店を相手に自分なりの価値観で交換を仕掛け、色々のゲームを遊んだ。その中で高くて買えないものは多分つまらないと思うことにした。

店も商売なので値段の付け方が面白いと高くてつまらないと安いかと言うとそうでもなく、雑誌メディアに牽引されてよく売れたソフトは買い取りもたくさん来るので割安となり、反対にマイナなソフトは高額買取しないと集まらないので割高である。

この面白さとレアリティの二元論で価格は決定され、ゲームショップが出来たことで店の商品が売れなくなったおもちゃ屋キューピー堂のトン兄が俺に色々のことを吹き込んできた。俺は雑誌は大手メーカーに買収されて記事を広告の代わりに書いていると思っているタイプだったが、ゲーメストとトン兄の言うことには何故か警戒心が少なかった。ゲーメストはアーケード専門誌でトン兄はパソコンオタクである。

ゲーセンのゲームなら100円で遊んでみることが出来るので、ゲーメストなら自分の体験と活字をすり合わせることが出来る。トン兄も店でゲームを試遊させてくれた。

今から考えると、家庭用ゲーム機をファミ通の関係は日用品とスーパーのチラシの関係で、ゲーメストやトン兄の商売はスーパーのお肉をつまようじにさして食べさせる試食と同じメカニズムだと言える。チラシには騙されないが、食べると美味しかったのだ。

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そんなわけで色々と広告と消費者の騙し合いは続いているのだが、俺自身もブログというメディアに活字を投稿するようになってみて、ゲームの面白さと値段は相関関係で捉えているようで面白さを単一の指標で測るのがいかにバカバカしいかということも最近良く分かってきた。

売上が良いソフトはロットが多く値下がりしやすいが、人気がなくても自分は好きというものには相応の対価つまりファンの数を分母にした割高な価格を払わないと買えないわけで、それに対する合意を得るために少数派の活字があるわけだ。

ゲームクリエイターに憧れる子供の多くは大人になると何かの職に就く必要があって、その中でゲームを遊べそうな職がゲームクリエイターだと思っているからだろう。俺がYouTubeでギターの弾き語りを公開してバカにされながらも歌っていた時に子供の成りたい職業ランキングに普通の会社員が割り込んだ。会社員でも自分でギターを弾くくらいのことは出来ると思ったのだろう。

俺もゲームを遊ぶ時間が欲しくて自由時間の長い仕事を色々と探した。格闘ゲームやネットゲームを馬鹿みたいにやった。

しかし振り返ると、仕事をしながら帰り道に100円で遊ぶゲーセンのゲームがいちばんおもしろく、それは経営者にとっても売っていくらでなくゲーム機を自分の資産として賃料として儲けることが出来る良い仕組みになっているんだよな。

そしてゲーム雑誌の活字の意味もゲームを買って遊び比べるという普通の人には出来ない贅沢を追体験させるグルメ情報誌みたいなものかもしれない。1冊読んで3件食べたら多いほうだろう。

自分が活字屋になってみて、任天堂スーファミソフト「スターフォックス」のテレビCMで「ゲーセン行こうぜ」「いいよ」「どうして」「アレだよな」のアレというのはスターフォックスの事であるかのような映像だが、暗に指していたのはストリートファイターIIソニックウイングスのことであったのではないかと思ったんだ。

他社製品を自社広告で使うのは利権問題で障壁があったのだろうが、任天堂のゲーム機で他社製品が既にゲーセンクオリティに相当に近づいていた時期だったと思うんだ。