最近、夜8時に寝て朝4時に起きている

俺は自活できない男である。

23歳で家を出てマンションに住んだが、そこから3年くらいして自殺未遂、記憶喪失、浮浪生活を経て親父に引き取られ精神病院に入院し、退院して15年くらい経つ。

退院してからは自宅療養と派遣プログラマの仕事で治って働いてはおかしくなりを繰り返し、やがて国の補助制度があることを知り、そこから2年ほど引きこもっている。

 

退院してからつい先日まで、家の電子レンジがおかしいと俺は思っていた。タイマーが壊れていて、10秒から0秒までのカウントが9と8の間と8と7の間でズレており、8がすぐ終わるから温め時間にムラがあると親父に話した。親父は「そんなことはない」という。俺は親父の体内時計が不正確なのだと思っていた。

それが、今朝は電子レンジが治ったと思うようになった。8秒も7秒も自分から見て正確にカウントされている。この現象はこうも捉えられる。「認知の歪みで時計の秒が狂ったように思えていただけで、おくすりを飲んで病気が良くなり電子レンジと体内時計が合うようになった」ということかもしれない。

 

記憶喪失の分の25歳から26歳の記憶はかなり取り戻したと思う。なにぶん15年も前なので病気でなくても覚えていないことがあるのは当然だが、仕事を休んでラグナロクオンラインというネットゲームにハマり、レベル85くらいまで貯金を崩してマンションの部屋にこもってゲームをしては近くのコンビニやスーパーまでメシだけ買いに行く。

そんな時期があったはずで、そこから貯金が底をついて復職を試みるが周囲の人とうまく行かず天気予報を見て傘を持たずに家を出たが突然の大雨に打たれびしょ濡れで会社に着いたところでエレベータの中で俺だけびしょ濡れ、周りは不審がるという状況にも会った。突然の雨だと思って空を見たら晴れており、放水シャワーのようなものと人影がチラッと見えて「しまった!」と上で声がしたと思うのだが「誰もそんなことするわけがない」と笑われてそのままである。また、地下鉄御堂筋線淀屋橋近辺が工事されて、マンションから徒歩でキャノンシステムソリューションズのあるビルまで歩いていたが、工事で景色が変わって迷子になったことなども思い出した。

その前に俺はキャバクラで働く女の子とプライベートで付き合いだしたのだが、俺が定時勤務で、寝ていたら深夜2時3時にその子から電話がかかってきて起こされる、というようなことがあって睡眠不足で相当なストレスを抱えていた。

さらにその前には強引な勧誘で創価学会に入れられており、夜中電話がかかって起こされた時に翌日大事な会議で俺は夜中にブチ切れてひとりの部屋で創価学会日蓮曼荼羅の入った仏壇を「どこが願いが叶うんじゃ!」と暴れてボコボコに破壊して、中の曼荼羅を破いてゴミに捨てた。

その事は創価学会の幹部の人に「やっちゃいました」と電話したのだが、その人はゴミ処理場などを探すのに俺を連れて動き回り「もうどこにもないね」と言った。

考えれば、あのあと俺は噂話で殺人冤罪をされていたのだろうと思う。どこへ行っても悪い噂で人の輪に入れなくなり、仕事にも行けなくなって、それとネットゲーのどっちが先でどっちが後かはまだハッキリしないが、マンションで貯金を崩してゲームをしていたせいで家賃やローンが滞り、家に帰る前には銀行預金を自動引落されないように現金で部屋に置いておき、新聞受けには滞納のチラシがたまっていた。

 

近頃、心がけていることといえば左手首の運動である。俺は子供の時に左手で箸を持って親に注意され、右利きに矯正されたので、多分生まれつきは左利きで訓練で右利きになっていると自分で考えているので、左手をいつからか鍛えだして、それで自分には矯正されている以上のポテンシャルが引き出せるのではないかと夢見ていた。これも、まあ右利き人生に対する現実逃避のようなものかもだが、左手のほうが鍛えると器用になる部分もあって、しかしゲーセンでのストリートファイターIIの左レバーの癖が体からなかなか抜けず、そのフォームの変化で肩こりが治り、難聴の右耳にヘッドホンから音楽が右から聴こえる時が出てきて、病気だと言われている右耳からの幻聴がやわらいだ。電子レンジの時計が治ったように思えるのも、俺の認知の歪みが治ったのかと思った。

 

浮浪から自宅に帰って、それから入院までの間に親父と弟のいる家で過ごした時期もあるように思うんだが、そのへんもまだ記憶の順序がしっかりしない。弟が高校の時に俺が家を出て、そのマンションの保証人は母親なのだが、俺のマンションの契約書の家賃を見た母親が家のカネを持って別の男とアパートを買って暮らしだしたのだ。親父は俺が帰ってくるまで母親が俺と一緒にカネを持って出て住んでいると考えていたようで「ママはどこだ?」と俺に枝刈りばさみを持って脅してきた。

 

思い出すほどに嫌になる記憶で、入院前の俺は恨みつらみの感情に満ち溢れていたが、おくすりも効いて、よくある精神安定本に「感謝を持つこと」とあるので、あれはごく一般論で怒りや恨みも俺は時には必要な感情だと今では思っているが、周りから人が逃げると感情は何にぶつけてよいか分からないので、今はそのこじれて取ってつけたような感謝がいつしかおくすりもあって生まれたことへの感謝のようになって、俺を罠にはめた人がいるとか、育ちに問題があったみたいいなことはあまり考えない。

 

子供の頃に親にねだって買ってもらえなかった記憶があるものや人に盗られたものもヤフオク自分で買って部屋に置くことで、そんな辛い記憶のことは思い出さず、ずっと持っていたかのような安心感に満たされることもある。

 

この記事を書いているのは、そういう取って付けた安心感に安住することへの疑念がまだ俺の中のどこかに眠っていることは隠せないということだ。

親父も昔の話は嫌がることがあるし、今は食事や洗濯などの面倒を見てくれる優しい父親ではある。嫌味は時々あるが、真っ赤になって怒鳴ったり酒を飲んで殴ったりする怖い父親は恐怖を伴ってでなく、無くなった過去として映像的にテレビの中だからホラーでも怖くない人みたいに思い出せる。

思い出すだけで怖かったということを、感情を伴ってでなくエピソード記憶として覚えている。

 

人間、40代を超えると脳内物質の分泌回路が組み変わるという研究もあるらしい。そのせいなのか、精神安定剤のせいなのかは俺は知らないが。思い出すことへの恐怖感みたいなものも無いので、怖がらずに思い出してみるということをしている。