腰痛の原因をひとつ見つけた気がする

子供の頃はお風呂に入ったらパジャマに着替えて寝ていた。

19歳くらいまで、そうだった。

ゲーセンで知り合った人のマンションに招かれ、徹夜でゲームして朝帰りして家でシャワーを浴びると両親が色めき立った。「そうじゃない」と言って、それからも外泊は増えたがゲーム関係ばかりだった。それから服のまま寝たりすることが増えて、汗臭いままのときがあったが、元々がキレイ好きだったので周りに指摘してくれる人がおらず、自覚のないままの時があった。

それが24歳くらいからマンションでひとり住まいになり、住居選択を誤り、会社には近いもののワンルームで家賃が高く洗濯機が置けない。今思うと欠陥住宅と言うよりも実質的にヤクザが買い上げて偽装ラブホテルとかマンション型風俗と呼ばれるような建物が老朽化して悪質賃貸業者に出回ったものなのだろうが、とにかくそこに住んでコインランドリーで洗濯した。

コインランドリーは廃業寸前で、最初は俺の貸し切りだった。洗濯機にモノを放り込んで回してからスーパーに買い物に行って取り込んで帰る、という生活を繰り返していた。洗剤はアタクまたはビーズ。安いのを使ってた。靴下のわけ洗いなどもせず、乾燥は日干しでなく乾燥機。だんだん臭くなり、コインランドリーで女性の下着泥棒と間違えられたりもした。

その頃から服で寝ていた。今も服で寝ている。春頃はパジャマを久しぶりに見つけてそれで寝ていたが、夏場にエアコンが壊れていて下着で寝ている。しかし下は履きっぱなしのジーパンだ。

そのジーパンのベルトが細型で、ややきつく締めたままなのが腰痛の原因ではないかと初めて腰痛で病院にかかったときに指摘されたが、治ったら忘れてそのままだった。ベルトをしたまま寝ていると腰痛で寝たきりでも寝返りや起きる時に痛かったりした。

ベルトをはずすと腰回りがほぐれてくるような感触があって、多分治るだろうと思えた。

ゲームの姿勢も腰痛の原因だが、ゲームをしないでいると上の空でゲームのことを考えている。いつからこうだろう。ゲームが無くなったら何のために生きているか。テレビでも満足は出来る。ただ、テレビでの満足は主体性が伴わない受け身の人生だ。そこにリモコンでなく画面のキャラを動かせるコントローラが付いたものがテレビゲームなのだろう。

ゲームのせいで腰が痛いわけでなく、ゲームにまつわる色々で生活習慣が自分の世間体よりゲーム重視になった点が病的と健全を分けるラインだろう。プログラマとしての仕事も同じだ。

DOS/VのマシンにはマスタとスレイブのHDDが付いているが、サラリーマン時代の俺はどちらかというとマシンのスレイブだった。自分がマスタになってマシンを持ち物としても、仕事はなかった。そういう人は芸術家とかで売れていて、あまったお金でMacとかを使っている。

プログラマの仕事をやめてMacを買ったのは10年前。そのころとほとんど同じファッションで買い替えたのは擦り切れてみすぼらしくなったジーパンとパーカーくらいだ。

いまMacでブログを書いているのは俺がやっと手にした自我と言うやつかも知れない。赤子が泣くようにネットの向こうに助けを求めるような気持ちでブログを書いてきた。それを自慢に受け止めて、助けるどころか敵対して来る人もいて、ブログを通じて生活はもっと悪くなった。だけど、俺のところに助けに来るわけでなく誰かがその人のブログに伝えたいことを少し示してくれて、それを読んで、書いて読んで書いて読んで。

そのうちに、誰の指図でもなくようやく自分で考える頭が最近になって備わった気がする。

前にも書いたけど、俺からゲームを取り上げたら、まだ目的はない。だけど、俺は俺をコントロールできて、住む家も着るものも充分にあって、これから何か出来そうだと考えている。