積みゲー解消計画。時は待ってくれない。

 直近10年ほど、ACTやSTG趣味の俺がモンハンを三作越したガンダム連ジやアーマードコアというロボFPSに強くなった、格闘ゲームをさらにやりこんだ、カルドセプト遊戯王というトレカ系も強まった。それは良いのだが。

 もともと小学校の時はドラクエが好きでFFもVIまで遊びゲームボーイでサガやウィズを喜んで遊んでいたのだが。勉強のためとゲーム機を親に取り上げられ不良仲間のせいにするではないが学校帰りのゲーセンにたまるようになってゲームのない家に帰るのが遅くなり、そんで卒業バイト専門学校と進んだあたりでセガサターンACTとSTGの人に仕上がってしまった。プレステでDQ8とFF7、8、9という人と話が合わなくなり寂しい思いをしていた。

 まあその間もRPGというとドラクエのようにお話があってモンスターが出て来て辛抱強くレベル上げの作業をするものというイメージでもって話すと「ゲーム知らない人」みたいな反応で距離が出来てしまい、RPGも多種多様に進化していて、その話題に馴染めない事が専門学校でもゲーム好き組みよりCG学科でアート系を志すグループとロボコン出て三重の高専から片道2時間かけて通うT君とのC++とかShadeの談義とあとは卒業後の進路として会計士を目指す現実的なコヤマ君とチョットつるんだくらいで、大学生によくある学生時代のバカ騒ぎ体験は俺の専門学校時代には無かったわけではないが、学外とゲーセンで必要以上につるんでしまい、半端だった。

 ゲームを買う金が無いわけではないが、話を合わせようと買ったロマサガ、ペルソナ3、スパロボIMPACT、フロントミッション5などが途中で置いてある。おろしているので積みゲーとは呼ばないかもだが、これらのゲームは途中で負けておくこととしていた。

 まあ、人付き合いの幅も中学での友達作りがファミコン好きの遊び仲間からゲーマーを自称してゲームで人とつながるってのから、他の趣味の人を考えたら「大丈夫、俺ら(私ら)そんなの一個も知らないわよ」って感じではあるが、どうにかして世の中に待ってもらえたらこれらのゲームもやっつけたいのだが、どんどん年月が過ぎている。

 まあゲームの話ばかり書いたが、俺の一日のゲーム時間はしない日もあるし20分から長くても2時間は行かない。いやホント小学校の時は8時間くらい平気で遊んでいたし、格闘ゲームをゲーセンバイトの勤務時間に観戦して、バイト上がりから他店で閉店までしていたこともあった。今はパソコン机に座ってテレビ見てSNS見てブログ書いて、ぼーっとしたり本読んだりそういう時間が増えた。ギターも4月まで毎日弾いていた。

 けどここいらで、積みゲー、何とかしたいと突然問題である気がしてきたのだ。ゲームを仕事にするなら商品研究というひとつの分野をほっぽらかしていることになる。

 んで俺が最近遊んだので心から面白いと思ったの、息抜きで数分だけ遊んだゲームボーイツインビー、ソロモンズ倶楽部、魂斗羅なのよ。ある意味で俺も深狭い趣味で。

 同じようにマンガも小学校の時に少年ジャンプやコロコロコミックを読んでいたけど、中高でほとんど読まず、40代になってからヤンジャンを1年ほど、モーニングを2ヶ月ほど取って今も部屋の片隅に積んである。

 俺は俺で他の人ではないというアイデンティティをひとたび格闘ゲーマーとして確立したのだが、その道で成功したウメハラをモデルとして頑張るという道が収入も何もなくへし折れて、自分の人生はプランから何から失敗と思い始めるところから病気に蝕まれていったと思うのだが、いわゆる「普通の人」というイメージがモラトリアム人間で何物でもないところが普通という想像から、仕事も趣味も家庭もあって普通とすると自分は相当な劣等生ではないかと不安になったこともあるけど、まあ結婚は出来ていないが収入とか金銭的な指標ではそこまで貧乏ではないと思うんだけど、メシを食う妻子がいないからカネが余っているだけで、稼ぎとしてはまあ人並み以下なんだと思う。月収にすると派遣SEの仕事は東京よりは安いが県下の他業種より高い。でも俺は貯金を始めて親の持ち家で同居だから、働くモチベが低くて月収高くても特に頑張って買いたいものとかも無いのよ。家も広いし車も二台ある。

 ゲームなんてしてらんない、と思うのは仕事をしていない焦りからだが、自分で事業を起こそうと始めたゲーム開発も今は進展がなく勉強しなおしとなっている。ゲームなんてしてらんないって人が作ったゲームは誰がしていられるのかというと、もっとしてらんないゲームなのかというと、そうでもなくボリューム負けですぐ飽きられるのだ。

 ネットで情報洪水という言葉が流行たことがあるが、PS2期のゲームもグルメ向けちょびっとフランス料理店ではなく、メガ盛り傾向のディスクスペースをリソースで埋める系ゲームが多いように思うんだ。もちろん作り手はメガ盛りでもおいしい料理で手も込んでいるんだけど、幾ら何でも遊びきれないゲームが次々と出ている感じ。

 いまネットで生成系AIに求められrている仕事のひとつが要約で、小中学生でも「要約が読みたい」と時短を求める。本でもアニメでもゲームでも、リソース量が多すぎてどうやってそれを消化するのかというのがテーマになりがちだが、それを食料品で考えるとフードロスは問題だが、現実みんな一人前を食ってスーパーデパ地下の食料品は毎晩廃棄されて、それでも経済大国なので余しちゃって大丈夫という罰当たりな現実。

 ゲームアニメマンガなどのコンテンツも消費者としてみると同じ状態で、俺の遊び時間がしない日もあって20分から2時間と先に書いたけど、それが限度でも世の中にはそれを上回る速度で生産が進んでいて、そして店頭に並ぶレベルに達していると売り上げが無くても一定の給料で食える業界であって、よく売れるタイトルの生産者が総取りにならないように出版社とかが作家に割り振っているのだろうと思う。

 俺の場合は35歳の時に開発でもらった3ヶ月の仕事での約100万円がゲーム業界からの「お返し」で、ゲーセンパチンコで100万円は使えるとしても、家ゲーRPG100万円分も買って最後まで遊べるかというと、たったの4本で既にお手上げなのだ。いやACTとかSTGとかモンハンとかロボゲーとかやったって言ってたじゃんって、それ全部足してももらった給料が全然余っちゃうのよ。

 ごめんね、こんな話読ませて。でもこれが俺の現状なの。俺は俺の人生どこか失敗で、けどそれでもしたいことはして来たから満足ではあって「まあ頑張ったじゃない」みたいな慰めを自分に言い聞かせて生きてるんだけど、今後の身の振り方というか過ごし方というか、年は食っていくとしてもそれは今の俺の未来であるわけで、そうさね、勉強しときゃよかったと思う分は後から勉強して、今の勉強はもっと難しいわけだし、ゲームしたことを後悔した程度にはゲームの時間を減らして他の事に当ててる。

 それでも時代に何も追いつかないような感覚になることが時々あるんだ。今はスイッチのスプラ3が気になってんだけど、積みゲーほっぽってそれに飛び移るのにためらいがあるのよ。未来への期待ではなく将来の不安が勉強や仕事の行動原理であるわけで、ゲームしてていいんやという時間は安心に満ちてて幸福感が高い。

 ただ冗長な体験は無駄な時間に思えて生き急ぐ気持ちや焦りが勝ってしまう。そのへん、ぼーっとしている時間とかこうしてブログ書いてる時間もあるわけだから、退屈なゲームをゆっくり遊ぶ時間も持てたら多分良くて、流行りを追うのも何かが違う。

 積みゲー解消と焦らずにまた20分、1時間、2時間、そのゲームの続きを遊んで楽しめたら良いじゃないって気持ちになったらまた楽しく遊べそうだ。それで良いのだ。


🄫1999-2023 id:karmen