RPGって元々は妄想ツールだよな

わりかしRPGをディスり気味な時期にブログのアクセスが上がってきた関係からか、格闘ゲーム好きでRPGとかあんまりしないと思われているかもですが、格闘ゲームでもKOFなどのチームエディットとRPGのパーティ編成は結構似てて妄想ゲーです。そして俺はかなり妄想好きです。

ブログ書いてそのネタが掲示板で散々ディスられているのを見ると被害妄想になるのですが、そっちの妄想じゃなくて。

例えばウィザードリィではドワーフがあからさまにゲーム攻略のために恵まれていて、戦士でも僧侶でもドワーフが強い。しかし魔法使いはエルフという人も多いだろう。魔法使いになるには知力11必要で、マックスは知力18だけど魔法の使用回数の上限は知力11でも18でも9回で魔法攻撃力と知力にも相関関係は無いから、魔法使いでもヒットポイントが高いほうが得になる。最初のほうが素早い魔法使いだとカティノを唱えるのが速くて便利だが、後半でドラゴンのブレスに耐えれるHPが無いと簡単に死んでしまうので、それを見越してヒットポイントの高い魔法使いを作りたいと思うとエルフで知力に11だけ振って体力に残りポイントを回すかドワーフで魔法使いにすることになる。ドラゴンに勝てなくてレベル上げが必要だとして、そのレベル上げの閾値が何になるかというと魔法使いがブレスに耐えれるかどうかが線引になる時、最初から魔法使いを体力重視に育てておいたほうがレベル上げの必要レベルが下がってクリア時間の短縮につながる。

ドワーフの魔法使いなんて到底信じられないと思うかもだが、転職すると初期ステータスになることも考えると侍やロードに転職する時ドワーフのほうが有利になる。

そういう風に数値的な有利不利で種族やパラメータを選ぶのが早解きの基本ではあるが、美学として魔法使いは人間であるべき、つまり指輪物語ガンダルフであるべきとか、何となくエルフの魔法使いのほうが職業と種族がハマっているとか、グラフィックのない昔のウィザードリィでもそういう想像はしていた。

もっと行くとクリアそっちのけでエルフの戦士って何だかゼルダの伝説のリンクみたいで格好いいとか可愛らしいというイメージで変なキャラを作って遊んだりもした。

クリアの速さとか戦闘の要領の良さを競うって考え方じゃなくて、世界に自分の好きなキャラを旅立たせて思い通りの冒険譚を自分で想像するって遊び方もあると思うのね。

そこをRPGは簡単な四則演算とダイス運の戦闘でレベルは線形的に上昇するので固定された敵の強さを超えるために作業するだけ、とディスったところで「俺のリンクはHP78だけどガノンより強いから!」と本人が思っていたら話は平行線なんですよ。

でも、俺がRPGをディスってみたところで「妄想ツールだから」って突っ込むやつはいなかった。いなかったけど、実際には結構いるんじゃないのかな?そうじゃないとRPGなんてやっぱつまらんでしょ。名前と種族とパラメータだけで力強く妄想してきた結果がFFXIVPSOで美形揃いで役者不足ってオチで、もうみんな人間エルフ系ばっかやりたがるならドワーフホビットNPCでもいいんじゃねって思ってるんですけど。

そういうの思い出しながらFFVIiPadで再開するとまた「バナン・エドガー・ティナの渓流めんどい」だったのが「マッシュ・ガウとか喜ぶやついるのか?」になって、30分ほど面白かった。やっぱ天野喜孝の絵とドット絵のギャップを想像で埋めるのが良いんだよ。つまりはリアル3D系になって失われたイラストのタッチが天使のたまごみたく死人が出るほどの工数かければ一部のマニアにもリアル系RPG復権するんじゃね?

いや、そんなことはしなくて良いんだけど。

FFVIちょっと進めて、FFVIIミスリルマインで放置してて、シレンはクリアした後のアイテムを持って2周目で二面地蔵超えたあたりで放置してて、もう放置ゲーと積みゲー多すぎて仕方がないからカプエス2でベガのオリコンでも練習しようかと思ったけど詰将棋2問解いて将棋ウォーズは1勝1敗。そういや山本一成さん情熱大陸出てたね。予告編見て絶対見ようとチャンネル固定してたらうたた寝して見逃したよ。

妄想オモロイと言ってもハイスペックになったゲーム機で文字読んで妄想するだけは寂しいから、グラフィックの進化があからさまなFPSやレース系から次世代機の実感が得やすいという筋なら話として分かってもらえるかもだけど、映像が人によっては妄想のジャマになる系統のゲームもあるよな。そこらへんファイアーエムブレムはアニメ絵とポリゴンと上手いこと混ぜて妄想系のまま進化して突き進んでるよな。

追記しておくと、この記事の前半部分を読んでようやくRPGの早解きの何たるかが分かって、単にアイテムの場所やクリアの最短距離を先に覚えてダッシュで逃げてやり直すとか、そういうインチキな早解きだけでなく、成長戦略やレベル上げ時給計算などの俯瞰的な計算も必要であることも分かってくると「お前スゲーな」とか「俺が悪かった」と言ってくれる人もいて、もしかして俺ってRPG界隈でもちょっとした変人なのかなと思った。どちらかというと、子供向けのゲームで取り合わない人が多いから良い年してやってる俺が勝てるだけって見方もあるけど、何かズルをして時間を縮めていると勘ぐっていた人が考え方を理解してくれて称賛する立場に変わってくれたことが何より嬉しい。

ほんと、数人のために書いた文章なのだけど、俺の判断でみんなが読めるブログとしてアップしとく。

加筆修正したので記事自体の論理構造がおかしくなっている。簡単な計算と妄想がRPGの構成要素だと思って書き始めてみたが、無意識的に計算している手順を全部書き出すと結構な量になるので、それらの計算こそがRPGの面白さの一端であると考え直した。計算ってオモロイからね。

あとRPGはハードの進化でグラフィックとシナリオ重視になってきてるけど、俺はファミコンウィザードリィが大好きで何度もクリアしている。最初はキャラメイクと育てまくり最強忍者とかが趣味だったけど、やがてセーブの電池が切れて虚しくなり、それをいつしか乗り越えて早解きにシフトした。ファイナルファンタジーの無印も好き。ファミコン版もゲームボーイアドバンス版も好き。GBA版は5回くらいクリアした。戦士・戦士・赤魔術士・白魔術師のパーティが最強だと思ってる。ドラクエは3と5はかなりやりこんだけど小学校の時に遊んだ2が今では一番好きかも。まあ、全部好き。でも女神転生シリーズは苦手。ゲームボーイのサガも好き。

ゲノムかミームかって二択にするから分からなくなるんだよな

ゲノムミーム論とかセックスジェンダー論って二者択一で議論されるけど、たとえば陶芸職人の子供たちが財産目当てのダメ息子たちで弟子が跡取りになって殺人事件が起こったりとか、大学教授の子供がりゅうちぇるみたいので教え子に内緒にしてたりとかがゲノムミーム論のミーム優勢の材料にされるけど、本当にミーム優勢なら子供がいなくて孤児を引き取ってどうのこうのって最近ドラマやってる、そういうテーマになると思うのね。陶芸職人の例も大学教授の例も自分の子供と教え子が両方いて、それを比べているわけだから二者択一の問題ではなく優勢劣勢の問題が本質なんだよね。

ゲノム優勢は生命維持の観点から論理的に明白だと考えてるけど、子供が思うように育たないとか結婚できないで子供がいないという人への気持ちの配慮としてミーム優勢に語って慰めるのが人文の観点からすると正しい。宗教は常に真理の裏を信徒に説く。

まず、大雑把ではあるがA「ゲノムとミームを持つもの」B「ゲノムのみ持つもの」C「ミームのみ持つもの」D「ゲノムもミームも持たないもの」の4者間でAがBCより優勢でBCがDより優勢なのは明らかで、BC間で議論をすると平行線だがDがBCのいずれになるのが簡単かと考えると現代日本社会ではCが多く発展途上国ではBが多い。

つぎに一番最初の話で財産目当ての子供か技を次ぐ弟子かと二者択一に考えるが「技」こそがミームであるという誤解が先にあって、財産はミームとは言えないのだろうか。ややもすると生まれながらの金持ちという考え方からすると金持ちにとって子供の相続はゲノムである。って、それはちょっと暴論か。どのみち有機無機のように出発点が曖昧で議論の結果で雲散霧消する類の定義ではないかな。

地球の人口が増えすぎて分け合える食料や物質やエネルギー資源の最大公約数が減るとゲノムを残すための戦争も起こりうる。戦争反対なら子供を産まずに孤児を引き取るべき。俺は自分の子が持てるなら世界のどっかでミサイルが飛んでも平気。自分や家族がミサイルに当たるのは勘弁。

ラクをするための考え方というのは皮下脂肪。勉強は頭のライザップ。

 「なんでコンピュータ将棋の開発者が早指し将棋なんてやるの?それも詰将棋の本なんて読んで。本書いた羽生善治も中2に負けたのに」と言われたんですよね。言いたいことは分かるんですけど、電卓や電子辞書のある世の中でも算盤や公文はまだ残っているじゃないですか。トラックの運転手が休みの日にジムでバーベル持ち上げてるのに「どうしてクレーン車とかフォークリフトでバーベル持ち上げないの?」聞いているのと同じかなって思うんですよ。

実は俺は学校出て小さなゲーム会社で半年くらいバイトした後、中途採用設計事務所に入る前にひたすら家でゴロゴロしてた時期があるんですよ。その頃はウルティマオンラインがあるかないか、ネットゲーはしていなくて、スーファミドラクエIIIを酒場の定員までレベル99にして、命の木の実や力の種で全ステータス255とか999にして、あとは不思議の木の実だけはモンスターが落とさないのでどうしようか、すごろくの景品に出ることがあるから双六やろうか、などと考えていました。

それから脱して、働いてお給料をもらうと何かに使って自分をレベルアップせねばと考えたんですよね。ドラクエって最初はスライム倒して3ゴールドとか経験値4しかもらえないけど、レベルアップするとドラゴンを倒して500ゴールドとか経験値1000と沢山もらえるようになるから、世の中の仕組みもそれと同じで会社勤め頑張って昇給したら何でも楽勝で買えるようになるというドラクエモデルで世の中出来ていると。それはもう、世間知らずだったんですよ。

子供に嫌儲がいたり、憲法に勤労の義務があるのは知ってるんですけど、お金を使って装備を強くしてもドラゴンは出てこないので、というかスライムすらも出てこないので、資本家に雇われてもらえる限られた給料でやりくりせねばならないことが身にしみて分かってくると、お金を大事に取っておく。そんで収入と家計簿を見比べて、そうしてようやくまたバイト辞めた頃と同じで貯金と暇がある状態のレベル39まで来れたのかなと。後悔もありますよ。変なものいっぱい買わされたの全部お金だったら今後働く量がもっと少なくて良いのになとか。

そして、そういう風に頑張って稼いで使って自己投資というサイクルから抜け出した俺は気付くと体に脂肪はつくし、何よりアタマが「ラクしたい」というサイクルになってしまったんですよ。もうドラクエすらする気が起きない。

それは、ただ落ちぶれただけでなく、人と話す代わりにブログを書き溜めたせいで俺のことを知りたい人には長話をするよりブログに案内して「まあ読んでみて」と。将棋も麻雀も自動で遊べるプログラムを組んで「やりたいならそれ相手にやってみて」と人付き合いもコンピュータに託して、そうやって得た結果としての退屈なんですよ。

賢さというのは学生時代は偏差値というというスカラーで評価されるけど、それすらも算数が得意で社会科が苦手な子供と反対に算数が苦手で社会科が得意な子で合計点が同じなら同じ偏差値じゃないですか。さすがに東大主席くらいまでいくと全教科得意だけど、そうなると芸能に疎いとか、科目以外のことはダメですよね。そして偏差値60くらいでも、それぞれの得意分野は多種多様で、俺は学生時代と比べてコンピュータの専門家の道を進んだことで、計算とか記憶は劣化してると思ってる。覚えておきたいことはパソコンやメモを使ってアウトプットしておいて計算は電卓を叩く。そうして、楽をした代わりにもっとプログラミングの勉強に当てたから。

それで、ここいらで頭のライザップをしないとそろそろマズイんじゃないの?と思ったから詰将棋を解きはじめたんですよ。まあ、落とすべき脂肪、鍛えるべき筋肉と同じように忘れたり気にしないようにすること、覚えるべきこと、鍛えるべき演算能力は人によって違うけど、将棋のプログラマーとして生身の将棋に弱いのはかっこ悪いと思う人もいるかもなので、そこ鍛えようかなと。つまりは俺にほんの少し残っている見栄ですよ。


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