勉強メモと日記など

今日は和歌の掛詞を勉強したのでメモのついで和歌を読んでみた。

高校の時に古文が難しく感じて、復習したいと常々思っていたのだが、賢い風の女子大生とかでなくバカそうな飲み屋のねーちゃんでも「古文って簡単じゃ?」というので常々何かがおかしいと思っていたが、今部屋にある「万葉秀歌」という本の著者を調べると確かに東京医科大学の卒業生なのであるが初版が1938年で、柿本人麻呂の歌などを芸術の一環として鑑賞しようという姿勢でなく、和歌から汲み取れる描写や著者像から史実を補完しようという試みで和歌が読み解かれており、大変難しい。

そんで、掛詞はまあ今で言うダジャレみたいなノリで上手く詠むとダジャレも良い歌になるという程度の認識でパターンを覚え、そして自分でも真似て使ってみられないかと歌を詠んでみると、あの難しかった古文は何だったのだろうという思いと、簡単じゃねと言われた言葉の示しているところや、センターレベルで必要そうな復習もバッチリ。

ここで一句。

「みをつくし 琴に歌へば 晩となり 小倉の山に たれ思いよる」(宮の佐輪)  

しかし、読んでもらうと「晩となり」は現代文ぽくてダメ出し。

「みをつくし 琴に歌へば かりそめの 小倉の山に たれ思いよる」(酒香)

詠み人まで添削するのはアリなんでしょうか。

31分の26は正解なわけだから83点は欲しいところだが、こういう添削でも0点になるのが試験の厳しさ。まあ、桜の季節になると色々と思い出すことがあるものだ。辛かったことだけ思い出さずに良かったことはなかったかと振り返ると、やっぱり俺の人生は自分で採点し直してやるとそこそこ取れているのだが、学歴、年収などの切り口になるとあまりよろしくない。職歴にするとそこそこのキャリアを積んだが、結婚相談所で職歴を書く欄はなく、現職と年収でもって女子から測られる。

だから俺は結婚相談所のアンケート用紙をもらった時点で俺が書くべきことは何も無いなとそのまま名前も書かず白紙で返し「来るところを間違えました」というと、相談所のおばちゃんが「まあまあ」と何件か女性のデータを教えてくれたのだが、それより俺の仕事よりもっと良い仕事というか重い役職で仕事一筋過ぎて婚期を逃した難儀な男性とカネが目当ての女性を無理くりマッチングさせてるのよ、良い思い出とか作るのを手伝って、とパンフレットや何やらで説明されたが、それから5年10年経ってみるとそれを見て俺にはまだ早いと思っていた俺が難儀な中年である。

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ルービックキューブが内輪で流行っている。何かと古い付き合いのSNSでネタに困っている界隈が過去ログから「それ、俺ネタ?」と思うものを少しずつ取ってきているようだが、まあお世話になっている部分も大きいのでそこは深く掘り下げず、流行った頃のルービックキューブのイメージと言えば天才発掘装置であった。みんな買って回してグチャグチャにして戻らなくなり、色々の人の手を伝って誰か解けるやつを探すゲーム。

確か途中から攻略法がマニュアル化され新品に付随するようになったのだが、そのためには一面とその角が揃っている状態まで自力で持っていかねばならず、まずそこまで行かない。現在はそのマニュアルはネットでも攻略法として多数紹介されているので、今流行っている界隈では子供に与えてグチャグチャにさせお父さんが晩にマニュアルを見ながら直すという趣味になっているようだ。

俺もグチャグチャにしてから一面を揃えてマニュアルを見ながら直すクチだが、人前で出来るとカッコイイと思ってマニュアルの丸暗記に挑んだことがある。これが楽しくない。やっぱり、カッコつけるというのはそれ相応に努力が必要なものだが、ルービックキューブの楽しさってそうじゃなかったよなと思った。

最近は回した分をできるだけ暗記して、逆手順で戻す。子供のうちはそれがこわごわでほとんど2,3回しか回せなかったが、5回6回とドンドン回して戻し、戻らなくなったら公式を使わず出来るまで思案する。試行錯誤しようとしても、試行するたびに同じ形に戻ったりしてしまうのがルービックキューブの面白さだ。いやそれ頭悪いだけだろ的な。

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ゼルダのレベル2迷宮はまだクリアできない。ファミコンミニの時はエミュで遊べるのに2000円は高いだろと思っていたが、89回現時点で遊んでいることを考えるとゲーセンでストリートファイターIIを1回100円で遊ぶほうが高いだろ。

それが20代では分からなかったが40歳にして分かったことである。GBAファミコンミニも丈夫だわ。エミュで遊んでいたらパソコン買い替えるのもう何回目だよという。

「赤坂ですか?」「けやき坂とか言ってたな」

ゼルダでホワイトソードをげっと、レベル2迷宮を発見。

銀河漂流バイファムを3話まで見て泣く。ラブライブサンシャイン3話でまた泣く。

欅坂46の動画を2年分くらい一気に見て盛り上がる。

あと親父がアイフォンに買い替えて設定変更を手伝う。など。

ドコモのCMは地味に面白い。欅坂46が流行っているから欅坂46が出てるという単純なキャスティングを楽しむのではなく、楽曲「ガラスを割れ」は飼い犬体質をやめてロックに生きろという楽曲をアイドルが歌っているものであるが、それをひふみんに誘われた堤真一サイリウムを持って「いいですねー」と太鼓持ちをしている可笑しさみたいのを数秒のコマーシャル映像から汲み取れるか、という。

ところで銀河漂流バイファムは46話あって1日3話ペースだと2週間かかる。しかし並行してラブライブサンシャインを見ているとラブライブ1期の12話はサンシャインの3話に凝縮されており、新しいアニメを積極的に見るほうが良いのかなとも。

利己的な遺伝子」が出版された後に竹内久美子の「そんな馬鹿な!?」を読んだか山口貴由の「覚悟のススメ」を読んだか、どちらか一方しか選べないなら。全部読んで原著も読むとひとつの情報のために2つの子情報に時間を奪われたことになる。

俺は暇人なのでファミコンミニゼルダの伝説をいまさら遊んでいるわけだが、新進気鋭のゲームクリエイターがスイッチのゼルダでなくファミコンゼルダを遊んでいたらダメじゃないかなって気はするよね。裏ゼルダには墓石を押したら下に階段があるとか木をロウソクで燃やすと階段が、壁にバクダンを仕掛けるとそこに抜け道がというような隠し通路の探索要素があるが、たとえば同級生30人クラス全員で手分けして道を探すとあっという間に終わると思うんだ。

それを「俺しかゼルダ持ってない」「俺しか解いたやついない」「攻略本は表しか買ってもらえない」「ファミコン雑誌に乗っているマンガは別のストーリー」という状況で育ったので、まあ俺のゼルダ体験というのは孤独なものだ。

近所に持っているものを探しても居なかったのだから、中学でそこそこ裕福なゲーム買ってもらった子どうして集まった時はスグに共通の話題ができたものだが、ゲームなどのオモチャの情報交換でつながっている以上は消費して情報源であり続けないと繋がりを保つのは難しいし、互いに自分が持っているものこそ至上と張り合ってケンカをしていれば遊び相手にあるが、交換すると互いに悔いたり損得が発生する。したがって俺たちは互いの持ち物を吟味しあって至上と思われたものは皆で共有するという方策を取ってきた。

だから俺のアイデンティティというのは面白いゲームを持っているということではなく種々のくだらないゲームを買いまくって面白いと思えるゲームを探してきたガラクタ王であるというところにあり、俺が既存のメディアから売れているものだけをかいつまむようになると俺のアイデンティティは失われる。

経済的に疲弊するとそういうアイデンティティは保てないので、辛い時は誰かに変わって欲しいと願ったものだが、もしそうなると俺は何のためにいるのか分からなくなってしまう。

そこで「裏ゼルダ」「バイファム」「ラブライブ2期」「欅坂」「ひふみん」などのワードが最近の俺のアイデンティティになるのだが、ネットにそれを公開すること、テレビで見たものを自分化することはマジョリティになるのでアイデンティティ足り得ないが、エリート意識を捨て平民意識を持つと自分はこれこれこういう所以で特別な存在であると思わず足並み揃えてみんなと同じことをやっている、みんなやっていることで自分がまだ出来ていないことは何か、みたいな尺度で見るようにもなった。

情報を隠して隠している者同士で芽生える仲間意識のような仲間の発生の仕方もあるかとは思うが、俺はどんどん自分語りをして自分がどこまで溶け広がるかのテストをしているのかも知れない。未来は分からない。

裏ゼルダちょうどイイ!

ファミコンミニの「ゼルダの伝説」を出してきて裏ゼルダに挑んでます。

ゼルダとはゼルダの伝説をクリアした後にまた最初から始まって敵が強くなり隠し階段やアイテムの位置が変わって難しくなった2周目のことなんですけど、実はまだ解いていなかったんですよね。

やってみると、相手として不足なし。ちょうど小学生の頃に表ゼルダでも負けまくったがごとく、裏ゼルダと今の俺でレベルが釣り合っているんですよ。

実際、格闘ゲームとかシューティングというゲーセンのゲームは昔より断然今のが上手いと思うんですけど、ゼルダの伝説みたいなゲームは雑魚をやっつけてルピーを集めてゲームの中のお金を貯めることに専念して、そして冒険に飽きたらわざと死んでセーブするということを繰り返していたと思うんですよね。

それは今でもそんなに変わらずに、ちょっと遊んで懐かしいなぁと思ってから、どこかでサッサとやめてセーブしようみたいに思う部分と、死なないように広く探索しようと思う部分があって、自分と自分で対戦してどちらの自分を勝たせるかみたいなゲームではあるんですけど、死なないように広く探索しようと頑張る方向でも先まで進むと負かされたわけで、その感覚がちょっと新鮮でした。

実は俺、ゼルダの伝説をクリアして裏ゼルダをしないまま、近所のおもちゃ屋でゼルダの伝説のディスクを続編であるリンクの冒険に書き換えてしまったのを思い出しました。そのリンクの冒険ゼルダと違って全然楽しいと思えなくて、ゼルダの伝説を失ったショックのほうがはるかに大きかった。

だからゲームボーイ聖剣伝説を遊んだ時、ゼルダが返ってきたと思ったもんです。

見下ろし型のアクションRPGっていうゲーム雑誌のジャンル分けみたいな話になると、それはイースとかハイドライドだろって源流の話になっちまうかもだけど、俺にとっての原体験はゼルダの伝説で、俺がやるべきは続編ではなく裏ゼルダであったと。

んで、裏ゼルダは何が難しいのかちょっと真面目に考えてみたんですよ。

まず、ゼルダの伝説アクションRPGで後発の多くのゲームが経験値によるレベルアップを採用しているのに対して、ゼルダの伝説のリンクのパワーアップはウッドソード、ホワイトソード、マジカルソードの3段階の攻撃力アップとハート3つの体力をハートの器で16個まで上げる耐久力アップ。

これに対して敵はタコやクモからスケルトンやゴブリンやナイトにパワーアップしてるんですけど、裏ゼルダが難しいのは表ゼルダと同じようにダンジョンレベル1から順繰りにクリアしていこうとすると剣が弱くハートの少ない内から強い敵が数多くいる難所を抜けていかないといけない構造になっているんですよね。

最近はそこそこゲームが上手くなっているので、正攻法で倒すとか早解きで自主的に難易度を難しい方向に調整してしまうクセがあるんですけど、裏ゼルダが越せないならそれを攻略するにはダサいけどランク下げする必要があって、遠回りでもハートの器を探したり、剣をレベルアップする抜け道を探して、リンクを強くしてから挑むほうが良いのかなと。

これで、完全に小学校の時にゼルダを遊んだ時と同じような条件設定になるんですよ。

結局、上手くなるといっても冒険の探索順序という段取りの良さで上手くなる部分と画面ごとの戦闘の被ダメージを小さくするアクション的に上手くなる部分があって、敵の性質や挙動は分かっても数が増えることでキルレシオが上がるとファミコンでも充分に難しくて「アクション上手くなったから何なの?」という。子供のときよりは上手くなっていると思いたいんですけどね。

まあ、剣の位置とかハートの器の位置とか探すと大変だから「ネット見ろ!」でいいんですけどね。ゼルダの伝説ってそうじゃなく情報を探させるゲームだろって思うと、40歳になってもネット攻略を見ずにゲームを正面から攻略するのがいい暇つぶしになってます。

面白いゲームを探していたけど、まさか子供の時に使っていた引き出しに入っていたとは!


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