今日のマジックザギャザリング(白青高速デッキに落ち着きました)

前回はフレンチカラーから赤を抜いて白青にしました。白に寄せるに当たって「栄光の探求者」や「白騎士」といった基本カードで枚数を合わせたのです若干のパワー不足感が。

持っているカードで基本得点が高いものを考えると「平和な心」「内面からの光」「黄金のたてがみのアジャニ」でクリーチャーを3枚仮除去とエンチャントとプレインズウォーカーに入れ替え爆発力を上げました。あと平地を1枚削ってバント土地を4枚に。

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それらを入れ替えて並べて撮った写真がこちら。

まあ原型のディープマジックの小型クリーチャー高速召喚デッキのレシピにある「サバンナライオン」「白騎士」「アイケイシャンジャベリナーズ」とジャべりナーズは絶版超強いカードだけど、それ以外は基本カードなのでレベルアップや賛美などの能力の分クリーチャーは概ね強化されており、対して「十字軍」と「内面〜」「アジャニ〜」を比較すると重くなり、インチキカードの「土地税」を失った分でどうかな。まあ相性次第で勝てるデッキにはなったかな。

「尖兵の精鋭」「アラクサの従者」「2/2頑強(名前失念)」あたりを「内面〜」での強化度の高い「白騎士」にする選択肢も有り得るかなとは思いつつも、ほぼデッキは固まりました。

多少意地悪く揺さぶられてもブレない軸が出来てきたかなと。結果と実績も欲しいですが、今はこのデッキが間違いなく自分の持ち物であることだけでも誇らしく満足です。

問題を抱えていることが普通になってきた

人間は「何も考えないでおこう」と思っても難しい生き物だ。

テレビをぼっと見ているとか、くだらない妄想にふけるなら良い方で、恋煩いというか相手にも何もなくても浮気の県議をかけてしまったり、お金がもらえるからしているはずの仕事を続けたらもちろんお金が貯まるのだが、貯めずに使ってキャリアアップを悩んだり、生きている意味とか、他人と比べたりとか、地球が滅んだり、とかく何もなくても心配事は尽きない。

そしていま俺は何を考えているかと言うとチャート式基礎からの微分積分の練習65の(9)の答えが合わないことである。高校の時に数学の森田先生は丁寧な人で、俺が答案用紙に書き散らかした計算式を合っているかどうかすべて読み込んで、式があっていて計算結果が間違っているときには三角をくれた。5点の問題なら3点くらい。

今取り組んでいる例題も、計算を間違う。書いてあることの意味がわからないという段階は脱し、問題を見たら式を立てて計算する。頭の中で計算してみてすぐ解答を見るという方式で勉強していたこともあるが、ノートに式を書かないと暗算だけでは辛い問題もあり、それを書いてみて、答えが合っていたら快感だ。ただ、半分くらいは間違える。例題は模範解答の式があるが練習問題は問題と解答のみなので、式の立て方が分かって解答と違う時に読み直して訂正するというプロセスを自分で踏んでみると、高校の時に森田先生に返してもらったテストを思い出したのだ。あの頃の俺は何でも「何故か」と自問し、数学も公式を覚えるより導き出すのが好きで、テストのたびに計算用紙を何枚も使って問題に挑み、そして時間いっぱいまで何か書き込んで、時間切れや例の三角で40点位を取っていた。

では公式を覚えたら解決するかと言うと、やさしい問題は解決する。そうして、やさしい問題を公式で解くようになってから、応用題の方式の立て方が掴めるようになってきた。

それ以前は前述の通り手を動かして書くのが面倒で見て暗算できる問題なら解答まで辿り着くが、書くのがとにかく億劫で手順が長い問題には手が出なかった。すぐに優等生のようにスラスラ書けるようになったわけではない。嫌々書いてみて、分からないものも例題を写すように書き取り、そういう勉強をしているとやたらイライラして近所の人の立ち話などが耳に入ってきたら集中できずに怒りがこみ上げてきて物に当たったりしていた。

それが、ひと月ほどで、朝起きて机に向かったらとりあえず問題集を開き、ノートに何か書き始める。腹は立たない。そうして、今取り組んでいる問題がどうしても分からず次の問題を見たらそれが微分法の最後の問題であった。

微分が終わって積分に入ると折れ目や書き込みなど高校時代の勉強の跡が見られる。だいたい、高校の時でもバカだったので数学は基礎から覚えて応用を解くとなると微分より後から出る積分のほうが偉く、大学で習うような微分方程式はもっと偉いと思っていた。

しかし足し算より引き算のほうが偉いとか、足し引きより掛け算のほうが偉いということはないように、微分微分積分積分である。そして微分で解ける問題は微分すればよく微分より微分方程式のほうが偉いということも多分ない。

実際的な問題を解決する時に数学が何かの役に立つこともあるかもだが、いま俺はくだらないことを考えてしまわないように目の前の参考書に打ち込んでいて、練習問題が何故合わないかは即座には解決しないので保留して、空いた時間はそのことを考えている。

その問題に取り組む前はもっとくだらないことを考えていた。倫理で習う性善説性悪説であるが、善悪の別が人の決めるものなら人間の性分が生まれつきそのどちらかに傾いているとは考えられず、あえて分けるなら先天的遺伝的な行動か後天的環境要因の行動かということであり、先天的性質でも善悪の別にふるい分けられるものだから、倫理はやっぱりおかしい。

だが、それらは近代的な考え方とは言えず古典的な考え方として学ぶものであるから、いちど古典を習ってから近代を学ぶというのは人類が順を追って賢くなっていることを刷り込むための手続きだろうなと思う。

そういう風にひとつひとつ考えていくと、数学というのは叡智そのものだなと改めて思う。ただ、数学だけでは実際的な物事には機能せず、普通は物理学の力を借りて問題を解決する。だがどうだろう。哲学をするにしても歴史をするにしても数学的な知見はあるほうが良いと思う。そうでないと自らの非論理性に気付けないから。ただ、最近よくある統計的な社会学みたいなのは数学の使い方間違っていると俺は思っている。代数とか分からんから10進数で示される数値を手掛かりに何か政治的な意図を持って文章で人を誘導するのだ。

では数学が分かるとどうなるかと言うと、数学の勉強に時間を使いすぎて実際問題の外郭的な知識が足りなかったりする。俺の場合には文理が繋がるのに40代までかかった。

悪魔との取引

自分のプライドが何かの邪魔になると感じる時がある。反対にプライドが高く嫉妬心が高いことがエンジンになることもあるのだが、若い頃にそれで良いように焚き付けられてその結果から脳がオーバーヒートして精神疾患になっている。

病気になってから、世話してくれるのは親父だけで俺が弱ると天狗の鼻を取ってやったという風に「泣きっ面に蜂」の追い打ちをかけられたのは病気を隠して働いていた頃で、仕事を追われて3年経ったいま、自分の内心を考えた時に中高私学で旧帝大に憧れを抱きつつも受験に負けてから案外と公募学歴の高い企業に中途採用の形で潜り込めて、そのねじれを心理的に利用して無理難題を押し付けられてきたんだと思う。

プライドの醸成は中学受験に勝ったことと就職先企業の看板にあり、しかし内実には大学受験に負けたことを何かの形で挽回したいと考え続けており、それが仕事に打ち込めるエンジンだった。

まあ、分かりやすく言うと普通は入館管理されていて誰も入れない企業の開発室に人脈で入館証を作ってもらって「お前偉い高校出とるらしいやないか、そんでなんか事情があったて」「はい」「それホンマか?ホンマゆうんならウチのシステム見てみろや、それ出来るゆうんやったら東大卒やって認めたろ、そんでカネはナンボや」とこう寄られるわけですよ。「俺大学は落ちてるし、挽回のチャンスだと思って引き受けるか」と思って多少ブラックでもやり遂げて名誉と報酬を受け取るんですけど、その会社の偉いオッサンが東大だと認めてくれても世間的にその影響がどれほどかは疑わしく、もらったカネで繁華街に出ても面白くなく。まあそのオッサンと付き合って高級飲食店とか行くと「こいつ東大出るくらいアタマあるんや」とか紹介されても相手オバちゃんやし、ママさんも俺が若いから若い女の子を付けてくれたりするんですけど、そうするとそういう飲み屋の若い子は案外とモノを見抜いていて「アンタほんまは東大なんか出てないんとちゃうの?」とこう来るわけです。

まあ裏の入館証とか夜の街とかで東大出たことにされてしんどい仕事をさせられるのはオレの心にスキがあるからだということを素直に認めて、落ちたのは勉強不足だったからもう一度受験勉強をしようと、高校の時に買った数学の学参を解き直して、受けたい大学の過去問や例題から累計予想をしてヤマを当てるような勉強ではなく、基礎からきっちりやって何を出されても解けるようにしようと取り組んでみた。

「数学が何の役に立つ」と言われた20年前と違って、数学を使った色々の分野の研究成果が出てスマートフォンのような便利な道具も浸透したところで、あえて受験問題のような数学をいまから解き直す意味とかその使い方というのも考えるんやけど、解けるようになることで怪しいオッサンから「ホンマか?」と詰め寄られる時に出来る「心の隙」みたいなところをガッチリとガードできるようになった。

「ホンマに解けるか?」と寄られて心が動くのは「本当は解けないのではないか」という不安があり、そこに問題を出されると「解いてみたい、そうすることで挽回できる」という心の動きがあるからだ。

まあ、過去問などと向き合ってみると東大の数学とコンピュータシステムの改修は別問題ではある。そして、数学の問題は高校の数学の先生でも解いてしまうので基本的に解くのは無償であると考えられる。対してコンピュータシステムの改修に当てられる報酬というのは市場原理が働かない密室での出来事であるので、価格の比較が困難なものだ。

つまり自分の受け取っている報酬が正当なのか不当なのか判じ難い事も心に隙の生まれるもうひとつの原因だと考えられる。まっとうな考え方からすると大卒初任給よりずっと高い。それで充分だと足るを知ることが出来れば、あのまま続けていたのかも知れない。ただ、自分に頼まれるのは他の業者よりも自分に頼むほうが割安と判断しているからだろう。

しかも裏稼業なので出世はない。一般企業勤務でも窓際族と比べたら似たようなものかも知れないが、好調に出世したものの年収などと比べると、という欲が出たのはまた怪しい界隈の人間から焚き付けられていただけなのかも知れないよな。そりゃ付き合いと言って高級クラブに飲みに行って払われる飲食代を間近で見ていると、金銭感覚も狂ってくるものだ。

いま俺はそのお金があったら、貯金しておいて毎日マクドナルドで飯を食う。そうするだけで毎日プレステで遊んで漫画週刊誌を読んでテレビを見て過ごしていてもお釣りが来るのだ。


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