今日のカプエス2(A山崎・バルログ・ベガ)

久しぶりに心から「ゲームしてぇ!」ってなったのでカプエス2。

ストIIの類のゲームはコンピュータゲームとしての側面以外にゲーセンでのグレーゾン賭博の貸し台や昨今のeスポーツの競技場的な色々の意味を持つ。

ひとりで遊んで暇つぶしに遊ぶ、やりこむ、相手を探す、百円玉を儲ける、競い合う。関わる立場と目的が変わると思惑も変わる。ひとりで遊ぶには何をやっても勝手だが、遊びを緩くするための強キャラや投げハメ論争とか、今にして思うとそういう人との関わりである程度相手の要求を飲むことで難しすぎるゲームを優しく相手する行為がゴルフのマナーから接客業に変化してゆく中で結果から逆算して論理のおかしさを見出したりするんだけど、ことの起こりから順序立てて整理すると振り返っておかしく見えることでも最大限その時々の答えなんだ。

まあね、人を騙せる人ってまず自分自身を騙しているんですよ。人に温かくするより策謀を持ってして騙してお金を取ることの方が大切なことである、みたいな初心において本当に自分を騙していないかって考えるとさ。そう考えるとゲーセンのお客さんもeスポーツファンもいなくなっても勝ちたいみたいな子供っぽさって案外と本心で、釣り堀入れ食い金魚すくいとかを企んでいる人からすると100円で金魚全部とっちゃったら迷惑じゃん、みたいのと、記録として全部取りたい、でも自分ちで水槽に入れて飼うだけなら5匹から10匹くらいで充分みたいな色々の折り合いをつけて、俺はまあ強キャラでガチるとなるとどんな行動を取るようになるのが正解か分かりたい。

勉強するタイプの友達は格闘ゲームではなく文字系RPGとか遊んで話通じないし、格闘ゲームする人にも賢い人もいるけどスポーツ的な賢さとか実利的な賢さが先行して、大学の研究室みたいな変人趣味は対戦よりもコンボくらいしか興味無かった。かといってゲーム理論とかの研究者界隈にはまずカプエス2というゲームを知ってもらうところから始めないと囚人のジレンマとかコンピュータチェスとか、それぞれ分野があってのめり込んでいる。

それでも俺が勝手にちょっとわかってもらえないだけで「ぼっち属性」になってハマっている間に、少しずつそれらの距離が詰まってきて、ああ囲まれているかもしれない、お客さんを釣るとか手加減するではなく、本気でぶつかる対象ができたと思う。それは俺の相手をしてくれる人という意味で、ゲームの対戦相手としての友達には親しき中にも礼儀ありでマナーを持って接し、興味のない友達には無理に布教して押し付けることはせず、研究者ならゲーム専門用語ではなく数式などを持ってして論理的に何を求めたいかを説明する。

まあ、それで山崎で飛び込んでジャンプキックや前転からしゃがみ小パンチ連打砂かけ蛇使い、バルログでローリングクリスタルフラッシュ小の先端当てとしゃがみ中パンチ牽制。これらが体験的に強いとか、誰かがやっているのを真似たとかではなく、ゲームを操作可能アニメとして遊ぶだけではなく対戦型競技としてみて何に対して何点入るのかと考えると「強いキャラ使って強い行動したほうが勝つ」とだけ言って馬鹿かと誤解されるよりは、豊富なボキャブラリになるのかなと。

遊ぶためのルールとして禁じられているものは反対に競技の時に縛られていないなら強くて封じられているという裏の良い行動であるわけで、かといってそれが詰みとか必勝でないならある意味で最も研究されて行動パタンとして警戒され読まれやすい行動にもなる。

ではなぜ禁じられているかというと、ある一定の操作に対して読めていても返し技のコマンドがあまりにシビアで、勝つために強い行動を取るか、それを読んで敢えて不利でもコマンドを練習してその読みに賭けるかというせめぎ合い、もしくはとるべき戦略のジレンマはある。

そうして、さらに自分に正直になると練習よりもゲームを楽しみたいわけで、スポーツは観戦で楽しみ、家でプレステで有利だと思う取り組みでごっこ遊びをする程度で充分楽しい。

バーチャルに簡単に楽しめるところがテレビゲームの良いところではないかと。ゲームを分析して、こういう作戦でポイント取って行って、あとはオリコンとかコマンドの精度を上げて行けば勝てるなという立案が面白く、実践は適度に。練習はガガッとのめらずコツコツと。

これで俺は楽しめてます。対戦でも充分通用するだろうという戦略で神豪鬼倒した感動な。


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