頭は本当にラクを取るためのものなのか

 朝からNHKを見ていて、朝ドラ、あさイチVFXの監督さん、その後に社民党政見放送という流れ。監督さんが子供向け特撮映画の映像つきで紹介され続く社民党のイミージが上がる仕組みなのかなぁ、とか思って見ていたのだが。監督さんが紹介映像で得なのも子供だまし。

 ゲームでもそうなのだが、ゲームが面白いからといってゲーム制作が面白いかというと、そうではないと言いつつも社会インフラの整備とかよりはクーラー効いててパソコンで出来て実は楽しい仕事という。ただ、ゲームで遊んで育った子供が大人になってゲームでも社会に認められるために必要なお金の話が絡んで腹が立ってつまらないと言っているか、あるいは楽な仕事なのを隠すためにゲーム会社でもコア技術ではなくデバッグとかをバイトに押し付けてバイトの人に「面白くない」と言わせる作戦なのか。俺は面白い仕事だと思う。

 テレビの仕事もキツイらしいが、人をどういう映像で印象付けるかで人気の上下の生殺与奪の実権を握っており、テレビ局の偉い人には頭が上がらないと思わせる仕組みは出来ていると思う。それが分かってくると、このブログのオウンドメディアコントロールとしては頑張って仕事をしている人というよりはゲームで遊んで旨いもん食って遊んでいる人というキャラを想像させるので、何がしたいかというと中流以上の所得層の普通の余暇の過ごし方の見本足り得るかというところであって「普通よね」で終わればそれでよし。

 「許せぬ」という批判が飛んでくることもあるのはロシア軍が真に撃つべきは前線の兵士ではなくショッピングモールの市民であった、というのと同じで、実はそれはテロがホワイトハウスではなく経済センタービルを標的と取って成功したアルカイダの日に考えたら分かったことなのだが、何か悪いかというと何も悪くもなく。餌をもらえるから金魚鉢の金魚が泳いでいるだけで得をしていて庭で雑草が刈り取られて居場所がなくなった虫とどっちが悪いかというと、ただ言いも悪いも虫にも金魚にも脳はあるのかもだが餌を採ったり危険を回避したり巣を作ったり繁殖したりに脳が使われているとしても管理する人間の行動を理解することは恐らく出来ないと思うのよね。

 貿易センタービルだから仕事としてお金が儲かるように何かを売買していて、それでお金があるから標的にされたくらいのことかなと思うと、市民は安全な暮らしをしているのは無垢に働いて納税しているからで、税金さえ納めれば戦争はする人がしてくれると考えている人とそうでない人も混ざって暮らしている。その中から主謀者だけを見抜いて倒すことはできず、民主主義において主権は国民にあるわけだが、じゃあその中で誰かを選べないから皆殺しにできるかというと、戦争のルールで兵隊以外を標的にすると国際法から文句を言われる。

 文句を言う大臣を殺すと国を敵に回すのだが、市民にテロを起こされても経済制裁に止めて戦争参加まではしないというのは、まあ外交というのはそこまでの仕事ということだ。

 それを真面目に考える前に今日も連ジをプレイしたわけだが。局地戦での手柄か、軍人としての出世か、戦争終結という見えない未来に向かって勝利のために自己犠牲となれるか、それとも敗戦でも生き残る道はあるか、ゲームは敗戦でゲームオーバーとなるのだが。

 モビルスーツとしては破壊されても費用分のゲージが減ってゲームは続く。ならばシミュレーションとしては自身が生き残るように戦うというのは安易で、勝利条件は複雑化している。

 パイロットという立場で参加しながら戦局を判断するように作られている。

 俺はこのゲームで連邦に付いた方が勝ちやすいことを学んで与党派になった。それまで何故野党派だったかというと、以前にも書いたが周囲の人間から仲間はずれにされることで自身は少数派だと考えるようになり少数派の野党にシンパしたからだ。

 仲間はずれでも俯瞰で見ると自分が属して加担すると自分の生存が優位になる場所はある。

 とかく今まで俺は自分のことで手一杯だったが他人に気を回すことでキャパオーバーになってきた事を、ひとたび完全に利己的になることで切り抜けた。敵味方の区別以前に実存の問題から考え直した。他人はいる。そして人は金を必要とするものである。それに親のような無償の愛を求めるではなく、お金とモノや仕事との交換で、損得を計る。

 それくらいのことからやり直してみると、それ以前の考え方よりも自分に得になった。

 それは労働とか金銭という意味ではラクだが、のほほんと夢を見ていた頃から比べると目の回るような気忙しいことだった。頭はもともと身の安全と食料など身体維持に必要なものを獲得するための機能であり、安全が保障された市民になって初めて苦楽を天秤にかけられるのだ。しなくても良い戦争ゲームで脳を刺激しておくのは、その緊張感こそ心地よいからだろう。タバコや薬では得られない快楽があるのだろうな。

 物心ついた頃からひとりLSIゲームで遊んでいたら親がご飯に呼んでくれる。その安楽の中で、ただ待つのではなくゲームに興じることが退屈よりも楽という考え方もまたあるのだが。


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