ビールのシェアから考える社会と野心の実現の難しさ

 まあ、そんな難しい話でも無いのですが、前提知識が結構いる話なので何から書こうかなぁ、と思いながら筆を進めております。

 まず自分の話として若い頃には野心がありました。会社から学歴で選ばれて言われたとおりに働くことを大人が当然のように受け入れているのが不思議でした。自分ならいけると思ったのはファミコンドラゴンクエストをクリアする過程で、ひとつづつ敵を倒して経験値をためてレベルアップしていけば強くなって魔王も倒せるという幼稚な話が、本当に小学校の3年くらいで刷り込まれたまま高校生くらいになっていたからです。野心というよりは反骨精神とか反体制ということだったのだと思います。

 今は反対に小さくまとまって穏やかな暮らしがしたいと思いつつも、ちょっと毎日に飽きているので冒険したいという気持ちがあって、冒険には行けなくてももういちどゲームで遊ぶくらいでもいいかな、と考えていました。

 そうなったのにも理由があって、野心の実現の形を考えるようになったからです。

 ゲームでは武力が上がって行って強敵を倒すとより大きな経験値とお金が手に入るので、それをあおるように自己投資とかスキルアップとか、そういう単語に釣られやすい雇われプログラマーに気付いたらなっていました。求めるものは高い給料にいつの間にか変わっていて、自分が月給とか時間給で雇われているので、同じ月給ならサボった方が得という体質の中で出来高払いにしてどんどん仕事に慣れて加速して給料が増えるような仕組みにしてもらわないとドラクエみたいに面白くならないと思っていました。

 実は、そういう競争はドラクエ以前に日本で起こって、平定されているから大人の常識があることを段々と分かってきたのです。

 プログラマーでなく、身近な例で毎日飲んでいる缶ビールを考えるのです。

 ビールは毎日飲まれるので、作っただけ売れる優良商品です。そこに野心家が商機を見出し、工場でビールを大量に作ったら儲かると思ったのか、はたまた社会需要からみながおいしいビールを飲みたいと思うから供給のために事業化されたのか、そのへんは両輪あるとは思いますが、ビールを作っている会社で大きい会社は日本にいくつかあります。サントリー、キリン、アサヒ、サッポロビール、エビスビールなど。

 このビール会社の従業員規模がそのままドラクエではなく、またゲームの話で申し訳ないですが、信長の野望などの戦国時代の国盗りもののように、地図があって領主がいて隣国と戦争をして日本統一を目指すゲームのように、どの会社も日本一のビール会社を目指した結果として、日本中にそれらのメーカーのビールが売られていて、会社が大きいからよく売れるのかよく売れるから会社が大きいのかというところは今でも日々の競り合いで、商品開発をはじめとして、売り上げを上げるためにありとあらゆる方策が1本の缶ビールに注がれているのです。

 それも競争なので、安売りしたり儲けを出したりの値段も言い値ではなく購買者である消費者が労働して得られる賃金のうちどの程度をビールに当てるのかというところから、無理のない額が策定されているのです。

 ドラクエのように陣営が市民と魔物に分かれていて、各種パラメータは結局のところ戦闘の勝敗という形で勇者と魔物の二者比較になるわけで、その頭で考えることは相手よりも数字を大きくすることであったから、もちろんビールでもトップシェアのサントリーの社長とかが王様なんじゃないかなと今では思っています。

 それとて、他のビールメーカーを全て潰して独占するところまでは社会の調停機能で止められているわけです。

 だから、仕事のうちでもサントリーの中でもアサヒの中でも似たような仕事というのはあって、それに従事しているものの視点では似通った世界が見えているのかもしれないなと想像するようになりました。

 敵を滅ぼし独占した暁には自社でビールを作って売るわけですから、事業拡大するのと同盟を結ぶのでは同盟関係の方が利得が大きいとも考えるようになったのです。

 そういう風に型にはまって見ると、いつの間にか競争からの忙殺から逃れて、また小学校の頃みたいに退屈なゲームで遊ぶ心の余裕も出てきたかなと。ゲームも余裕の無い時は対戦型での勝ち負けばかりに囚われていましたもので。

 どのみち、いつかは戦いが終わって平和になることが分かっているゲームをちびちびと進めて、夜にはビールを飲みながら飲んだ後は遊ばないくらいのペースでしたいなと。その先には意地になって全部勝たなくても、退屈な時にその時の気が紛れるまで楽しく思える分だけ遊べばそれで良いかなとも思っている次第です。


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