漫画家になるのは小学校くらいでいちど夢だった。
日本でもマンガは昔流行って、漫画家になりたい人はたくさんいて、そういう人のお金を狙った漫画教材本というのは無数に出版された。俺も何冊か持っているが、ネットで新しいものの広告を見ると上手い絵が表紙で単価が高く講師が韓国人。そういう時代の流れは韓国が波に乗りつつも、だけど本自体は日本語であるし出版社も日本。
絵を描くというと紙にペンだと思って育ったが、デッサンというのはモデルがあるものを描くつまりモデルとは被写体でカメラの発明以前の技法というか、あるものをありのままに写すという意味では、グリッドやパースを理解できれば小学校高学年くらいで大人がびっくりするような絵を描ける、
極端に言うと、既にカメラを持っているのに写真に撮って写すような絵なら、工作のスキルがあれば出来てしまうということなのだが。
だがまあ、それ以上の上手い下手があって、芸術的な問題から押さえるべきポイントがあるのだろう。そうなると教本1冊を手に紙とペンで漫画を描くのではなく、道具も金も自分の労力も何もかもをつぎ込んだ1枚の絵として何故か選んだ表現方法が絵である芸術の域に達するのだろうな。
その意味で、手塚先生はマンガだが、昭和の作品でも芸術的なものはたくさんあったのだろうと思う。生業として出版社から原稿料をもらって絵を描いて生計を立てるという意味ではなく、利益が出なくても表現方法に漫画を選んだ作品という意味で。