「リベラル」とか「ポストモダン」というカタカナが山ほど書かれた本をアマゾンの試し読みで読むように回ってきて、読んで途中で嫌になって辞めたのだが。
自由とか近現代ではダメなのかというと、恐らく分かる人にはそれでも良いけどネットの普及期に言論をする上で、分からない人や調べない人と距離を取るのに使われた語だという認識ですよね。技術者界隈でPythonとか何の注釈もなく使うのと同じ感覚と思ってしまうのはちょっと危険な気もするけど、政治を語る私立文系の常識語かと。
もちろん、自由や近代現代がその訳語でありつつも、あまりに普遍的に使われているために厳密な定義が難しく、再定義して話すのも面倒なので原語のままカタカナにしてリベラルとかポストモダンと言うわけです。
んでその自由だか近代か現代が、皆の使っている意味とどう違うかというと義務教育とちょっとズレるわけです。高校まで出ていても歴史の授業は冷戦以前で終わりますから、大学で現代を語るうえで歴史と現代をつなぐ近代をちゃんと踏襲できているか、近代まで思想を進めて、その先をというところがポストモダンなのかなと。
そうすると、言論を構成する言葉で近代に既に論破して駆逐されるか、または達成して消化されている前近代思想が混じっている奴は論外なわけです。
しかし、現代でも復古的と言うか、近代にいちど追い払われたけど、見直した方が良いものもあるのも事実だと思うんですよね。ネットで議論したいけど、議題までの前提についてこれない人と話すのは面倒だって気持ちも分からなくはないけど、政治なわけですから参加者は何か言い分があるわけです。
じゃあ、こちらがポストモダンを理解して歩み寄るのではなく分かる人とだけ話をしたいってなら政治参加なんてやめちまって界隈で議論を白熱させているのを放っておけばいいんじゃねっていう結論もまた導けてしまうのですけれど。
まあ、俺が40代でポストモダンとか言ってるのが50代とか60代なら、もっと若い人に継ぐべき語であるかどうかも疑わしいのですが。摂取するメディアと一緒に年を食ってしまって、いつまでもストIIリュウとかリュウケンが通じると思っているゲーメスト世代を頑張ってスプラトゥーン3に参戦させるのにバイオハザードとモンスターハンターくらいは分かっておけ、みたいな例え、ますますわからなくしてどうすんだという。