ゲームって何なのか

世の中には色々の問題があって、解けるものと解けないものがあります。
答えのある問題と、答えの無い問題。
答えの無いものは例えばパラドックスとかいって言葉遊びに近い。
ゲームって何なのか考えた時に、その問いには答えがあるものか。
ここでいうゲームは野球や麻雀ではなくテレビゲームのこと。
テレビゲームというとパソコンゲームやモバゲーの意味でもあります。
このへん、言葉の曖昧さを読者が解決する問題ですよね。
ゲームの歴史の話をするとインベーダやポンが出てきますが、
僕が物心ついたころにはファミコンというものがあって、
このテレビゲーム機ファミコンに挿すカセットが1400種出ました。
カセットは言うなればメモリをプラスティックのカバーで覆って、
素人でもオモチャ感覚で使えるようにしたメディアで、
僕はこれが好きで1400種のうちの300種くらい持っています。
その中には似たようなものがたくさんあります。
何かヒット作があって、その模倣が生まれて後にジャンルと呼ばれます。
ジャンルが出来ると科学的に分析と総合で共通項が見いだせます。
共通項が分かると個々の違いについて語るのが簡単になってきます。
しかし、1400種をすべて分析と総合で解決はできません。
生物の網、目、科のような体系的分類をしていくと仲間はずれがでます。
そういう仲間はずれを探すのが面白かったな。
珍しい物好きと言いましょうか。
好奇とも言いますね。
ファミコンの1400種に負けず、後継機のスーパーファミコンにも
1000種類以上のゲームソフトがあります。
スーファミのゲームもまたカセットの形をしています。
スーファミのカセットは全て例外なく本体と同じグレーでした。
スーファミの頃になるとゲームはどれかのジャンルにはまりだし、
ファミコンの頃のような仲間はずれが少なくなってきます。
それでも、使える色数が増えて絵をながめるのが楽しかった。
音楽も格段に楽器の音に近づいて良くなりました。
コンピュータのメモリ容量が大きくなってきたものですから、
ひとつのソフトは分業で作られていきます。
ソフトの中に詰められた絵や音楽のひとつひとつについても、
分析と総合による科学的観察が出来るレベルです。
そして時代はプレイステーションになっていくわけですが、
なぜプレステかと言いますとソフトの種類が最も多いからです。
ニンテンドー64は伸び悩んでソフトが100種しかありませんから。
プレイステーションのソフトはCDに入れて供給されました。
これはスーファミより多く、制作者の手に余るものになりました。
CDロムの容量満タンまで使い切ったソフトの方が少ないでしょう。
それでも、プレステの容量のゲームを個人で集めて分析するのは、
これは並大抵ではない時間がかかります。
ゲーム雑誌のライターでも発売される全てのゲームを記事にするには、
担当者ごとに違うゲームを遊んで記事にするしかないという容量です。
こうなると、互いに遊んだことの無い同士で個々を語るわけで、
科学的な分析ではなく個人的な感想や主観的な好みの問題になります。
生物でも昆虫や草花のような小さなものには分析と総合の対称が、
生態系そのものに置かれて種類とその関係性が問題になります。
ただし哺乳類の分析総合となると人体だけ話が終わらない。
人体の中の臓器ひとつ筋肉ひとつで体系だった学問になる。
これが大容量時代のゲーム語りが難しいのと同じ類の話でしょう。
ミニチュアと言う趣味がありますが、あれは楽しいものです。
小振りのものを集めて並べると空から見下ろしたような気持ちです。
ファミコンくらいのゲームならどれも征服することができました。
それで、たくさんの種類を遊んであとから振り返って語れる。
そんな昔語りで片付けても話としてはつまらないのですが、
ソーシャルゲームは語れるほど数を知りませんもので。
鉄道模型にしても線路の幅ひとつで趣味としての領域が違うとか。
ゲームもそんなふうにビット数ひとつで違う趣味なのかも。
総称としてのゲームが差すものの集合が大きすぎて意味をなさない。
ゲームとは何なのか長々と語っても追いつめれませんが、
ひとつ言うと僕はファミコンが好きでした。
それはもうゲームが好きとは言えないマイナな趣味なのでしょう。