早合点(はやがてん)

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

僕の妹は漢字が読める、気になっていたのを借りて少し読みました。
ネタバレにならない程度に感想を書くというのも難しいので本編には触れません。
かなり意外でアイロニー(皮肉)に満ちた作品だなと思いました。
買う気はしないけれど、借りて読む分には面白いなと。


もう5巻まで出ているようですが、1巻読んだらだいたいの流れが掴めます。
でも、残りは読んでいないわけだから、もっと意外な面白い結末があるかもしれない。
読書に関して言える事は、そんな姿勢でいるとグインサーガを100巻かうハメになる。
作者の思いひとつで物語はいくらでも変化させれるのが小説であるから、
付き合う気でいるとキリがないわけです。
それで、どこかで見切りをつけて読まないようにします。


そういう姿勢でいると「早とちり」をしてしまわないかなと不安になることも。
「早とちり」を辞書で引くと、「早合点して、間違える事」とあり、
早合点とは「よく聞いたり確かめたりしないうちにわかったつもりになること」で、
僕の妹は漢字が読める」から「お兄ちゃん、漢字が読めないて、どうよ」は、
早合点だと言えます。
その早合点が間違いになって早とちりになるかは、これは創作だから仕方なし。
即物的なリアリストからすると小説は想像から生まれる虚構なわけで、
その結末について、ひとつひとつ確かめる事は頭の良さとは少し違うように思います。


この考え方に反する話をid:shi3zのブログで読んだ事があります。
「小説は虚構でも、その背景には何らかのリアルがあって、書き手の体験に文は依存する」
「本人が体験した事しか書けないかと言うとドラゴンを倒した事がなくとも幻想は書ける」
などなど、読書好きならではの持論が色々と展開されているのですが、
その論法の中に若干の矛盾を感じる部分があります。


矛盾(むじゅん)というのは見つけると、より精細な思考回路を作る元だと思っています。
背反と矛盾がどう違うか、ということを考えると、矛盾は論理的な整合性の欠如ですが、
どんな矛とどんな盾があってぶつかっているのか検証する事で真理に近づきます。
論理的矛盾で分かる事は、話の矛の部分と盾の部分が衝突すると少なくともどちらかが
真理ではないということだけで、話全部がデタラメになるわけではないです。
高いレベルで均衡した押し引きの矛盾か、それともどちらかがウソになるのか、
そもそもどちらも間違っているのか、矛盾すると終わりではなく矛盾こそ掘り下げたい。


ここで最近凝っているタロットの話を少し出します。
大アルカナの女教皇(ハイプリーステス)と法王(ハイエロファント)のカードです。
教皇は上着の裾に本を隠して持っていますが、法王は本を持っていません。
ふたつのカードの違いは、女教皇が本に頼っているのに対し、
法王は教えを全て覚えていて、そらでものを教える事が出来るということです。


現代は色々の本がありますから、本は読み聴かせて教えを説くもの以外にも、
娯楽として虚構を楽しむものなど、用途は様々ですから、タロットとは違います。
また、娯楽としての読書から知見を得る事も、もちろんあります。
そういうことを踏まえても、本がまだ必要というのは知見がまだ未熟ではないかと。
生涯勉強とか、勉強が趣味なら仕方なしにしても、目的を持った勉強なら、
どこかで自分の頭にそれを全部入れて本の助けから離れるのが目標ではないでしょうか。


ラノベの話からエラく遠い話まで自転車を漕いでしまったような気もしますが。