人の言葉を字面通りに受け取らない理解力で怒りを制御する

 人の言い回しにいちいちうるさい人というのはある。振り返ると自分にもあった。

 たとえば

 「青リロ時代を格闘ゲームに捧げた人の話は面白いぞ」

 このひと言に俺は一瞬イラっとしてしまった。

 何故かというとストII時代に色々すっぽかして格闘ゲームに夢中になった俺だが、青リロ時代は人にカネで雇われるサラリーマンだった。そこでも青リロをやっていたものに出し抜かれたような感覚、サラリーマンの話はつまらなくゲーマーの話は面白いのかなどと嫉妬の感情すら抱くからだ。

 そう思うのはゲームに捧げた人の話「は」面白いぞという「は」の用法が排他的にそれは良くて他はダメというニュアンスを示していると文法的に考えてしまうからだ。ゲームに捧げた人の話「も」面白いぞなら腹は立たない。これは単にその人が暗黙的な用法を使って煽っているというのではなく、青リロばっかやってて言葉に不注意なだけではないかとも思えるし、それに感性の問題で、その人にとっては青リロの話は面白くそれ以外の話が面白くない、話題の意味も意図もくみ取れず聞き流される読み飛ばされるというのも全く理解できる話である。

 それなのに、ちょっとしたニュアンスでそれがその人の本意を全く良く表した言葉であると解釈してカチンと来てしまうのは、こちらのほうが早合点であるとする方が正しいだろう。正しい国語というものはあるのかもしれないが、間違った国語が飛び交う中で、本意を求める努力を怠って、人の言葉の端々に「ああいいなおせ、こういいなおせ」と注意して回る方がどこかおかしいのだ。

 朝っぱらから理屈っぽい話で申し訳ないが、今日のお説教はそんだけです。


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