生きるに値する

俺も赤ん坊の頃は言葉なんて分からなくて腹が減ったり何か気持ち悪い時は泣きわめいて親に全部面倒を見てもらっていたのだろう。覚えているのは歩行器といってハイハイしている幼児を無理矢理立たせる補助器具のようなものを付けられてオレンジジュースを飲んでいたことくらいで、もう大半は思い出せない。


テレビゲームが好きでファミコンディスクシステムゼルダの伝説を遊んだ事は覚えている。他にはドンキーコングに忍者くん。ドンキーコングなどは幼児期にクリアして何周も同じ面の繰り返しになる事を分かっていたけれどゼルダの伝説だけは大きくなって地図を書くまでクリア出来なかったから繰り返し遊んでよく覚えていたんだろうと思う。


それが30歳を過ぎるまで名残のようにゲームが好きで、自分はゲームが好きで新しいゲームは出たら買うのが当たり前で、買ったら解くまで頑張るのも当たり前みたいに思い込んでいたのだろうけど、そのへんがどうも思い出せない。「そうだった」のは覚えていても何が自分にそうさせていたのか思い出そうに思い出せなくなってしまった。ゲームプログラマーになるより前か後かももうひとつハッキリしない。健忘というのだろう。


けだるくてタバコばっかり吸ってコーラを飲んで音楽を聴いて庭の建物のスキマからみえる空を見上げて、宮崎駿は引退会見で「映画を通じてこの世は生きるに値するものだというメッセージを届けたかった」と言っていたなと。


ちょっとだけ思い出した。


高校を出たすぐはゲームがしたくて働いていた。ゲームクリエイターになりたいが何から手を付けて良いか分からず(パソコンも20歳で初めて持ったので、高校生でパソコンを持っている同級生はゲーム作りなんか興味も無いし、ゲーム業界に行きたいと言っても話が合わなかった。望みの根幹はパソコンが欲しいという程度の事だったのかもしれない)とにかくゲームセンターでバイトをしながらゲームの画面を見て過ごして給料はゲーセンに返してゲームする、家庭用ゲーム機を買う、実家で生活費は入れていなかったので残りは貯金するという風だった。ゲーム業界のいちばんのお客さんだとも言われていた。


コンピュータ科学的に言うとインプットデバイスがコントローラーしか想像出来ないから、コントローラーで上下左右に動かすものしか想像出来なかったし、ボタンを押すとキャラクターが大きな動きをする格闘ゲームがとりわけのお気に入りだったな。


簡単に言うと想像力が原動力だったのだろうな。理解力は原動力にならない。充分睡眠をとってもどこか疲れているのが抜けない。


ゲームの仕事を受ける前に取引のある会社の社長さんに「ゲームを面白いと思わなくなってしまうかも知れませんよ」と念を押され「そんなことはきっと無いと思います」と答えた。実際仕事が終わったあとの最近でもパズドラを20分くらいは、それは楽しく遊んだじゃないか。


それでも最後まで遊ぼうとか、コイツだけは倒したいとか、そういう目標が何も無く、ただラジコンを庭で少し走らせる感覚なんだ。レースでも建設でも目標のようなものがあって、たとえば将棋なら玉を詰ませる。負けそうになったらちゃぶ台をひっくり返したり、駒をルール通りに動かさないで変な位置に置いたりすると、途端に楽しくなくなるように、ゲームプログラムの中を見てしまうというのは遊び手としては野暮ったい行動なのよな。もう作り手は一度なってしまうと遊び手に戻れないと言うか。


まだコンピュータ将棋とプロ棋士の試合が開催されるけれど、人によって何バイトの何クロックくらいの何台並列くらいだったら互角なのか、みたいな序列がそのうち出されるかもしれんな。俺はファミコンゼルダと互角に戦う小学生だったのだ。


思えば将棋もヘボ将棋だから楽しめて段位戦をするようになると4級までは楽しかったのに4級でここの連中は自分と並んでるな、同じくらいのヤツがたくさんいるなと意識すると、そこから抜きん出て3級になりたいという欲求よりも今の俺は4級くらいの腕前なのだと言う理解のほうが勝っている。


読むに値しない文章を書いてしまったが自分の考えを整理するには書くに値する文章であった。


ファンタジーゾーンを作った時は作るものと自分で遊んだ時の相手としての満足度が釣り合っていた。その均衡は自分がさじ加減をいちばん分かっているから、難しくすると解けなくなるし易しくすると退屈になるし、他人の評価もまた上げるも下げるもさじ加減は調整しようがあるだろうけど、そうなると何人にいちばん受ける中央値や偏差値はどのへんかという探りになって、うん、いや、ちょっと面白いかもな。


まだやれる事はある。ちょっと元気が戻ってきた。