科学史観と星占いの話

俺は科学万能の20世紀生まれなんだけど、あんまり科学万能とは思っていなくて、なぜなら科学は本の世界における百科事典のようなものだから。百科事典が出来た時に万物が生まれたわけでもないし、辞書が出来た時に言葉が生まれたわけでもない。科学以前も学問は世の中にあって、それを体系化して引き出しやすくしたものが科学なんだよね。だから原始的な生き方をしていた人間の中に天才が生まれて科学を生み出し、その科学の力で人間が文明化したという筋は間違いで、科学以前にも学問が有ったのは繰り返しになるけれど当たり前だし、科学と言う考え方や方法が生み出された後にも科学的方法以外での発明や知的生産は続いているので、なんでもかんでも科学が正義だとは思っていないというのが俺の持論。


科学史なんて語れるほど科学に通じているわけでもないのだけれど、科学とはどういった意味の言葉かよくよく辞書を引いて行くと、なんとも〓み所の無い言葉なんだよね。「人類の知恵の総体」みたいな。ホンマに全部科学なら俺の考えだって科学と言われると科学になってしまうわけだ。そんな言葉を作られたら何でも科学やんって思うし、それに騙されて科学のおかげだと思っていたら馬鹿だと思う。


それでも、俺は学校教育を受けているので読み書きや計算が出来て、俺の考えの根幹には学校の科目と言う考え方があるので、どんなに我流にやったつもりでも科学的解法を使っているんだろうけどね。俺は迷い症なので結構占いが好きなのを非科学的だと避難する人がいるんだけど、そういう人ほど科学的の意味を本当に理解しているのか疑っている。論理的、客観的、実証的を総じて科学的というのであれば占いは自分ひとりでものごとを決めるよりずっと客観的だから。そして星占いは驚くほど体系的でもある。さらにいうと科学が人類の知恵の総体であるなら占いも科学に含まれるはずだし、科学が占いを含まないのであれば科学は世界のすべてを理解するに足りない存在である事が自明になる。これは神様が万能であるとすると神様は神様が壊せないモノを作る事が出来るか、出来たら神様には壊せないモノが出来るし、出来ないなら神様は万能ではない事の証左になるというパラドックスと同じことだ。


まあ、科学という言葉をいじめるのはそれくらいで充分だろう。俺はどちらかと言うと科学以前の学問がどのようであって、それらはどう伝えられ発展したのかとか興味がある。でもそんなこと奈良の家からパソコン叩いてたってそうそう知り得たものでもないからWikipediaを読むくらいなんですけどねー。結局百科事典かよ!という。歴史と言う科目です、はい。


星座占いと言って馬鹿にする人がいるので補足すると、星座の位置と暦は密接な関係に有って、現在で言う地学の基礎には天文があり古代の天文の研究と星占いは切っても切れない関係にあります。ただし、星占いの生まれた西洋と日本では緯度経度が違うので、俺は12星座占いでは山羊座に分類されますが、日本においては1月の星座は牡牛座になります。(独自研究)生まれ月になると自分の星座が空の真ん中に来るので吉とするのが元々の星座占いです。まあ、ヨーロッパのどこならば俺の生まれ月に山羊座が真ん中に来るのか知らないですが、そういうふうに反対から考えると星座占いの発祥の地の緯度経度が分かるかも知れませんね。俺の家は街中で深夜でも街灯が付いているのでそんなに星は見えません。友人に星座の好きなヤツがいて車でど田舎の河原まで星座を見に行って蚊に刺されたりしたものですが、男同士でロマンチックでも何でもなかったね。アイツは元気にしてるんでしょうか。