ゲーム機のスパゲッティと現実と虚構を橋渡しする豊かさ

早起きしたので朝から時間を持て余しテレビ周りを整理した。

テレビの外部1がHDDレコーダで外部2がXBOX360という構成なのだがソフトの数とか遊ぶ頻度で言うとまだまだPS2が頑張っている。しかし差し替えは端子が傷みそうだし、せっかくXBOX360があるのにPS2で遊び続けるというのも保守を通り過ぎて復古主義者みたいで考えものだと思ってる。気にしなけりゃ良いだけなんだけど。

そこで、大した工事ではないがHDDレコーダを取り出してHDDレコーダにも外部入力があることを確認してHDDレコーダの外部入力にPS2を繋いでみた。コレもしかして動画撮ったり出来るんじゃね?(いまさら)

んでこれ、HDDに外部2があるからゲーム機もう1台行けるんじゃね?思うが置き場を作らないと不細工になるので、それはまた追々に考えることにした。

そして箱に詰めて仕舞っていたゲームソフトを本棚に並べて音楽雑誌やカードゲームのカタログや辞書類を本棚から物置に移し替えた。

しかし、俺がゲームに没頭していたのは現実逃避であり、ゲーム外の世界はゲームで遊ぶための仮初の肉体であるとさえ思っていた時期もあるのだが、近頃は現実世界にけっこう満足しているのでゲーム世界がリアルになっても虚構としての認識が強くなった。

ドラクエでレベルが上がっても自分が強くなるわけでもないし、ストIIで勝っても強いわけでなく、バイオハザードでゾンビに食われても自分が死ぬわけでなく、エースコンバットで墜落したからと言って(以下略

というか、筋トレしてパンチ力が上がったところで誰彼構わず殴って良いわけでもないという現実の認識の変化がゲーム世界へ没入するから戻ってくるキッカケになったのかもしれないが。

ゲーセンで100円払って遊ぶということが現金という現実でゲームへの没入感を高めていて、その行先にはパチスロがあったわけだ。家でゲームをするのはゲーセンで上手くやるための練習であるから格闘ゲームやシューティングには意味があってドラクエは自分の世界という認識だったな。

それが徐々にドラクエストIIを分けていた考えが改まり、反対に戦争ゲームで現実の認識を改める。戦争ゲームは政治、戦略、指揮、操縦、兵士体験などに大別され、小市民でも司令官になった気分を味わえるゲームもあれば戦場に送り込まれた疑似体験が出来るゲームもある。しかし戦争ゲームに共通しているのは破壊的な方法でしか現実との接点が見いだせていないということ。

で、ドラクエに立ち返ると「クリフトが好き」「じゃあ、私アリーナね」という会話が生まれるキッカケになる可能性がある以上は現実感のない世界を描いたゲームでも共通体験とコミュニケーションの糸口であったりむしろ核であったりする。そう考えると無駄に見えるゲームも生活を豊かにしてるんじゃないかな。

なんだかんだ俺のブログでも読んで文章として面白い人もいるかもだが、ゲームのタイトルが文中にあったとして、それを見たり遊んだりしたことがある人が読むのと全く体験のない人が読むのとでは雲泥の差があるわけで。

遊ばない人に向けていくら書いても百聞は一見にしかずであり、コマーシャルとしての価値が喧伝にあるのかと言われると写真1枚貼るほうがマシかもしれない。

だけど、遊んだことのある人に読んでもらうことで初めて繋がる感覚というのもあると思うので、ブログでやらずにミクシィでタイトルのコミュでファントークしたほうが良いんじゃね?と思いながらも自己紹介してファントークするのは照れがある。