日本橋に1ゲーム10円のフェラーリというゲーセンがあった時代

日本橋には秀和という基盤屋があってそこの営業するゲームセンターがフェラーリだ。
フェラーリと言えば古くてレア物を取り扱う基盤屋だけあって相場価格の高いレア基盤の展示場のようなゲーセンだったが、事情をあまり知らないヤクザが「ここらへんゲーセン流行るな」と思ってフェラーリの隣にゲーセンを開業して、秀和はそれが気に食わないらしく隣に絶対に客が入らないようにコインカウンターを100円から10円に取り替えて価格競争を始めて数年間抗争は続いたのだが、結局隣のゲーセンがつぶれてフェラーリが元の値段に戻してもひとたび10円で遊んでしまった客が帰ることはなく両方つぶれた。
フェラーリは当時流行の対戦ゲームが10円で遊べるのでお客さんが多く、しかし同じゲームの台はひと組ずつか多くてふた組くらいなので10円で遊ぶには勝ち続けなくてはならず、結果どのゲームの台も一番強いやつが占領する廃人格闘ゲーマーの巣窟のようになった。
フェラーリでゲームをして、50円の自販機でサイダーを買い、レストランがつぶれて弁当屋をしているシェフのところで格安で上手い弁当が食えるので食事をそこで賄ってまたフェラーリでゲームをする。そんな生活を1年くらい送った記憶がある。
その頃にストZERO2が稼働していて、50円の千日前モンテカルロではさくら、ナッシュ、ケンあたりが強かったがフェラーリはガイかローズかという感じだった。ガイは誰が見ても上手いやつだったが、ローズはフェラーリの優等生チームが強キャラだと主張して、ZEROカウンターからの中パンドリルパンチでのゲージ回収にモノを言わせて待つ。そしてその台に溜まっていたひとりが時々「うわー、もうゲージないやん!」と叫ぶのを聞いて、ヴァンパイアハンターをやりながら「あのローズやってるやつナッサケないよなぁ、ゲージ無かっても自分の技で巻き返したり出来んもんか?」などと陰口を叩いていた。
それを思い出したのは今日、コンピュータ将棋を相手に平手で動作確認的な対局をして「コンピュータに思考時間2分を使わせた」「金得されたから投了だな」と思った自分の思考が本当に正しいか少し不安になった。将棋は奥深いと言いたいけど実際は複雑だけど普通のゲームで極まると細い道を1本行くだけのイライラ棒かもしれないし、そうは思いたくないというジレンマ。
しばらくして、同じ局面を再生して自分が投了した19手目から何種類かの将棋エンジンで検討をさせてみた。マシンが重いが持ち時間を長めに設定して、コンピュータならどんな手を指すかと考えながら自分でも盤面を見て候補手を探り始める。予想以上の手があるわけないよなと思っていると、コンピュータも投了した。「やっぱ無理だよな」と思った時に突然先に書いたストZERO2のローズを思い出した。
「うわー、もうゲージないやん!」あきらめて投了する姿は将棋の初心者からすると将棋指しが先まで読み通すことを示す脅しのようなものではないか、指して見ないと分からないのではないかと思っていたことも子供の頃にはあったけど、実際に自分が投了する時はそれ以上やっても醜態を晒すだけだろうな、というような美醜の問題で投了する。相手が人間だと、もう3手くらいは粘って様子を見るかも知れないが、ことコンピュータ相手にはそういうあがきは通じないと思っている。「もうゲージねえ」と叫ぶことは美醜の問題としては置いておいて、あいつもしかしたら下手かもだけど賢かったんだろうなと思うようになったんだ。
日本橋に1ゲーム10円のフェラーリというゲーセンがあった時代、連日ゲーセンに通いひとつのゲームを皆で攻略していたわけだから、それは時代が流れて研究をひとりでしている人と比べて手分けをした分だけ答えに早くたどり着いていた。先のない道が行き止まりに行く前に分かって、早めに引き返して道をあらためることが出来る。そう考えるとコンピュータの利用者は人生の時間をより有意義な探求に充てることが出来るのかも知れない。