コンビニのとろろそばをいただいた

冷たいものの飲み過ぎで疲れた胃袋がとろろのとろみで癒やされた。美味しかった。

 

日々格闘ゲームカプエス2で遊んでいて着実な上達の感覚はあるのだが、これ出来ない内は上手くなりたかったが出来てみると「出来て何になる?」という問の実感も日増しになってきて。ギターなんかもそうである。夢見て憧れているから華があるように見えるのだよな。

それでも好きなことを仕事にできている人が安定した会社員とかのほうが良いよというのも会社員の実情を知らないから手取り給の額面だけでそっちのが良いと思うんだよな。

二兎を追うものは一兎をも得ずだが、一匹追って捕まえてまたもう一匹追うとまた捕まえられる。二足のわらじという言葉があるように、履き替えて使うのだろう。KOF'98のラルフの勝ち台詞の「どうせ追うなら十兔くらい追ってみろっての!」てのが印象に残っている。小屋で養殖されたうさぎがワラワラといると適当に籠か何か突っ込むだけで3匹取れるみたいな話が現代の二物持ちの現実なのかも知れないよな。何事もYouTubeでハウツーものがあり、見てやれば出来る。出来てきたら検索でまた面白いものが見つかる、という。

そのぶん、出来たところで他の人にも出来る人はわんさといるから出来るようになるだけでは差別化出来ず仕事にありつけないという問題もほぼ同時に発生して、一芸を極めるその極め方がハウツー以上のその人の個性になるまで昔で言うチョット出来るでは通じないのも現実。

 

それでも、そのぶん競争が激しい厳しい世の中になったかと言うと、いくらでも競争を避けて生きていく道もあって、自分のモチベーションをいかに高く保って注目の人になるかは厳しい競争だが、ただ飼われるように生きてしまえば生存競争自体はゆるくなっている。その先に男女間の相互の魅力よりも文化的な価値が優先されて少子高齢化になっているのかもな。先に夢の仕事と公務員の対比と互いに隣の芝は青い話を出したが、結婚生活も魅力的かもだがそれよか手軽に楽しい生活を満たせる世の中ではあるよな。

 

朝から抱えていた大量のフラストレーションはくだらないブログ記事を書くことで消化された。読まされる人にバトンが渡され読むとフラストレーションがたまるのではないかと心配してしまう。だけど読まれたい。誰がどんな風に読んでくれたかは分からないが、アクセスの数字が伸びているのを見て「ああ、ちゃんと読まれた」と思うと心がすっとする。

 

ふと思うのだが、俺はオタク的なプログラマのいる職場が結構好きなのだ。健全な職場というのはテレビの芸能人の話などくだらない話で盛り上がっていて、自分でもそのやりとりは出来ると思っているが、ペルソナの仮面をつけたままの生活はどこかに本音のはけ口が必要で、そう考えるとプログラムを組んでいる自分はだいたい「素」である。つまり日常的な会話というのはプログラムで自分の中にいわゆる日常的な会話を作り出ししゃべってみるという実験のような部分があり、自分がテレビを見て思っていることはブログに書いたりすることもあるが、テレビを見て普通の人はどう思って感想を述べ合うかみたいなことをグルグル考えて疲れるし、それが俺だと誤解を受けたまま長期的な関係を続けるのが苦痛に感じる。

それでも最近のテレビの面白さのツボみたいのはそういうチョット変わった人くらいが案外普通の人で、昔のテレビほどは見ていてズレを感じない。俺がテレビに慣れたせいもあるだろうが、製作者の意図なんかもチョットずつ変わってきているのだろう。芸能人だってお茶の間のために無理なキャラたてをしている。そういうのを見抜く若者層向けに深夜番組があり、久々に夜更かしして近頃の深夜番組というやつをたっぷり見た後の心境変化なのだろうな。