「ミヤザワくんのデッキ2枚とか3枚が多くて不安定ねん!なんで4枚にせえへんの?」

キングバランを4枚にしたとです。
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カルドセプトの前にMTGがあり、デッキの組み方には古典「ディープマジック」という本があって。
4枚:デッキの中核になるカード
3枚・デッキにとって必要だが2枚だぶると嫌なカード
2枚:強いカードだが引いても引かなくても良いカード
1枚:強いカードでデッキの目的に合った奇襲のカード
という枚数の指針があってですね、これを長い間守っていたわけです。
マジックザギャザリングで「必要だがダブると嫌」が3枚というのは決着ターンが14ターン20枚という想定で、実際に8ターン15枚で決着しているなら必要なカードは4枚入れても引かないことは有り得るわけで、2枚ダブると嫌だから3枚にしても2枚引くときゃ引くわけで。
それでカルドセプトはどやねんというと前作は40ターンまでもつれ込むと50枚ブックから45枚以上引くわけで、1枚刺しでも引いてきたわけですが、リボルトになって決着ターンが早くなりマジックザギャザリングのデッキ構築に近づいた。
ブックに2枚カードが2種入っている時、例えば昨日のレシピでキングバランとパイロマンサーが2枚ずつなのは序盤の空き地に置く場合はSTは関係ないのでHP50で魔力70のパイロマンサーが良く、攻める時にはキングバランのが良いという算段から2枚ずつ入れたら序盤にパイロマンサー、終盤にキングバランと引いてきた時は強いという考え方だったのです。
そこを考え直すとパイロマンサーとキングバランが2枚ずつなら、序盤にパイロマンサーが来て終盤にキングバランが来る確率と反対に序盤にキングバランが来て終盤にパイロマンサーを引く確率は半々なわけで、必ず引きたい方をどちらかに絞って4枚にするほうが確実なわけで。序盤にパイロマンサーを引くためにパイロマンサーを増やすと後半にパイロマンサーがだぶつく可能性もあり、キングバランを序盤に置いても30G損するだけだから、今回のラウンドボーナスという新ルールでほぼ気にしなくて良くなった部分かなと。
これは日記の体を取っているので、昨日考えてブックの写真を撮ったときの考え方としてはここまで。
話をマジックザギャザリングに戻すとマジックザギャザリングを始めた時に地元の仲間とヘボ対戦をするでなく、大阪のトーナメントプレイヤーの輪に入ってまさにトップグループのドベとして全国ランキングではそこそこの位置でもグループの中では負け役だったんですよね。そこは鶏口牛後に地元に帰ったらトップなのかと言うとみんな嫌気が差して相手もしてくれないって現実があったわけで。だから始めてから徐々に強くなった人と比べたら、アタマの考えと伝えられた教えで負けるという道中をすっ飛ばした弱い作戦の中に自分で一度やってみたい作戦が残っていて、そこを上手く消化できたら強い考え方をすんなり受け入れられるようになると思うんですよ。
「なんで4枚にせぇへんの?」てのは「コレとコレを削ってコレを4枚にしろ」て命令じゃなく言い分が有るなら聞いてやろうという意味もあると受け取れるんですよね。ロボットのように命令を受けるでなく、相手の目的を知って意味を分かって自発的に何かを4枚にするアタマに成って欲しいというか。言い分を聞かれるとこちらのほうの論理で自己正当化してしまうけど、ゲームが始まって有効なカードを吟味する前にゲームにすら成らなくて負ける試合を不運と切り捨てず、そういう試合をこそひとつでも減らすべきというのがプロプレイヤーの考え方としてふさわしい。だからデッキのキーカードはダブっても4枚というのほうが論理として正しい。
書いて考えるうちにブックの新しい方針が見えてきたので、ホーリーワード8とランドドレインを4枚にして何かを2枚削る。その削る候補が削れないでどっち付かずになっているのは自分の中に「1回やってみたい」が残っているからで、何度かやって1回上手く行ったらそれはそれで良いけど勝つためにはこっちだよね、ってのが定まってくると思うんだ。
鶏口牛後という言葉を出したけど、自分は中位を前提として上位グループのドベになるよか下位グループのアタマになるかどちらが良いか考えろよって漢文なんだけど、トップオブザ・トップを目指すのに何を成すべきかってのは歴史や統計からじゃ学べないかも知れないね。まあ、マジックザギャザリングのトップがトップオブザ・トップなのかトップになっても世界のいろいろの競技からすると鶏口なのかという程度の問題もあるんですけどね。三国志の時代に一国の君主で鶏口だったわけですからね・・・。

カルドセプトリボルトのクリア後をもっと深掘りする

50戦39勝で勝率78%オールクリアで俺のカルドセプトリボルトは一旦幕を閉じたのですが。
暇なのでさらに勝ちを確固としたものにつまり80%以上の確率に出来ないものかと考えはじめました。
近頃、俺の周囲でもカードゲームに対する理解は進んできて「子供じみている」だったものから「将棋のように社会に認められている」になったのですが、それはそれで誤解で棋界のようにプロの組織があるのでなく賞金大会があって入賞経験者がお店の宣伝としてレジ打ちの店番とは別にゲームをする係で雇われているというのが実情。そこまで理解が進むと3DSカルドセプトなんていくらやってもお金にも自慢にもならないものでなく格闘ゲームやマジックザギャザリングなど社会認知のあるゲームに参加して欲しいという圧力もかかりはじめているのですが、ゲームは遊びだから自分がやりたけりゃ3DSでも良いんじゃね?という俺の気持ちはまだ届いていないようです。
麻雀でもプロの存在が認知されたのって最近のことで「運で決まるものじゃないの?」が一般的てかルールも知らないで「怖い人のする博打でお金を取られる」みたいなイメージから競技になったのも最近のこと。まだまだ、プロが居る世界という認知だけが広まると強い人を見つけてその人を囲って戦わせる剣闘士とコロッセウムのような社会構造から抜け出せていないんですよね。どちらかというと「子供っぽい」という批判を否定しながらも子供のほうが怖がらずにゲームに参加する好奇心があって、実情をより良く知っているかなと。
そう、大抵のファミコンゲームの大会は大人が宣伝として名人のような役を買っていても中学生くらいが一番強いというのは良くある話。
それは日本社会に大人が遊んでいることを許さない共産党のような勢力があったからだと思うんですよね。三国志春秋戦国時代を勝ち残った秦国は戦争の後に公共事業をどんどんやろうとして嫌になった国民が離反を起こして滅んだそうですが、だからと言うわけでもなく「大人が遊んだって良いじゃない」と。ファミコンで中学生が勝つのって中学生が頭の良さのピークだって説もあるけど、そうでなく遊びに没頭できるピークが小中学生だったって人が多いからじゃないかな。
まあ、話はここまででブックを公開します。
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「ゲームは損得なしでも楽しめるもの」と言うと「損得なしで遊べるのはお金持ちだけ」と強弁する人がいるけど「ゲームで得するを立て看板に参加させて貧乏人がさらに損をする」という構図から「得なしで遊べるのが金持ちだけ」「損無しで遊べるのが博打の勝ち組」「ゲーム機を買うという行為は明確にいくら損か最初に提示されている博打要素のない遊び」であって、そこまで大金持ちでなくとも日本人の普通の所得でゲーム機って買えると思うんですけど(スマホ持っている人だって9割以上いる)それでもやっぱり損得のないゲームで遊ぶのが贅沢で敵だと言われるなら、それって既に強弁していても少数派だと思うんですよね。なんでそんなに貧しいの?俺がゲームしているせいなの?って。
貧乏だから金持ちが仕事しないでゲームしているのが羨ましくて悔しいって思うからって、自分が貧乏なのは世界の富が有限で金持ちが多くを取っているから自分の取り分が減っていると誤解してその事その人に対抗するでなくゲームという人の嗜好の特徴的な部分を槍玉に挙げて叩くってのが何かおかしいなと思うんですよね。
ゲーム会社で働いている人が「金持ちがゲームを欲しがるから俺ら毎日ゲームを作るっていう無意味な労働させられてんだよ!」とキレるなら筋が通っていて、だから俺はそれが分かったからポコポコ買う消費的なゲーム体験より1本を大事にする方向にシフトしたんですけど、前作カルドセプトを3年くらいやりこんで「やり尽くした」と思ったから続編やろうとしてんの。この3年ってサイクルは早いのか遅いのかってのが焦点にはなると思うんですよね。前作がドリームキャスト版からのリメイクであることを考えると10年に1本くらいの開発サイクルなわけで。
この話に何か落とし所って出来てくるだろうか。あるとすると仕事は何でもいいからしないといけない世の中。だからラクをするためガラクタみたいな無駄なものを作って仕事だって言う。だからそれを買ってラクをさせろって論理はどこかおかしくないか?無駄な消費が社会参加であるって価値観はどこか歪んでいて「ゲームやめろ」と「スイッチ買え」の板挟みの中潰れるか引き裂かれるかしそうな俺のゲームライフ日記は以上です。

アフィリエイトで儲かるなんて夢のまた夢と思っていたが

アマゾンアフィリエイトが始まった時はこれは新しい利権になると話題になって、即刻始めて2年くらい少ないながらも服収入が右肩上がりで「このまま不労所得で脱サラ出来たらナー」と思っていたのが10年経ってみて情報が出回りすぎて全てのブロガーのお小遣いにはなるけど食えるほど儲かる人は、本当にそんな人いるのかなと忘れかけていたこの頃に「マンガの蒼天航路は青年誌だからちょっとエッチで」の「エッチ」に自動のアドセンスプログラムがアダルト広告とリンクして瞬間最大風速として近年稀に見る高単価が観測された。
「なんでこんなに儲かってん?」と調べるとアダルトと言っても男性向けのエロ動画とかでなく女性向けの風俗の求人がクリック単価60円入ってんの。ネットの暗部を垣間見た気がする。
このままブログをエッチなブログに方向転換したらウチも儲かるんじゃろか。
コンピュータ将棋からエッチブログに転身。
早指し将棋対局で3分切れ負け!(上野クリニックの広告を入れて)10分でも切れ負けない!
とか。
解説「この展開は正常位、騎乗位、矢倉囲いからのカニ囲いですね」
女流「カニ囲いとはどういう形でしょう」
解説「金と金で銀を挟んで玉のアタマに持ってくる感じですね」
とか。
ダメだなぁ。無理あるなぁ。 奈良ってコンピュータの会社は少ないからプログラマーとしては大阪まで通勤する格好になるけど、奈良盆地の南にはアリスソフト(エッチゲーム会社)とか辰巳電子(パチンコメーカ)はあって、味覚糖のぷっちょのCMで橋本環奈がぷっちょVRで「あーん」してロボアームで口にぷっちょを運ぶCMとかやっていたのを思い出すと、コンピュータの行く末はエロか博打の代用品みたいな割り切りが昔の奈良にはあったのかなと想像するんですよね。
ピクサーのCG映画とかスパコンでの天気予報とか明るいコンピュータの利用法もあるとは思うんですけど。
個人がみんな端末を持っていて、それに消費動向分析がなされて欲しいものがあとワンクリックの所に吊り下げられて押したら買えるけどそこに広告収入が何パーセントか挟まる時代が本当に来てる。それって総額は税金みたいなすごい額なんだけど、フタを開けてみると牛乳配達や新聞配達やガスの検針みたいにウェブで少数を囲い合ってアフィリエイター同士が月に数十円の奪い合いをやっているみたいな実像じゃないのかなと俺は見てる。
いや実際にケータイやパソコンで仕事探しても良い仕事が見つからないから風俗の求人をクリックしちゃっう人がいるって話なんだろうけどさ。どうせ儲からないと俺が思っていたのはゲームブログという狭い世界の住人だったからで、あるところにはある話なのかもしれないなって、ふと気づいたのが今日のイマココです。


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