コロッケさんがモノマネをしたらアーティストもそれに寄る話

大袈裟に言うとタイトル通りなんですけど、あるピアニストの名演のなかに何か「もにょる」演奏があって、何かなぁと思っていたら若いアーティストのカバー動画で頑張って弾いてるけどやや「もにょる」ポイントがあって、レコードが100万枚売れる有名ピアニストのベストアルバムの選曲が多分おんなじ曲を何度も色々なところで演奏するんでしょうけど、その「もにょってる」バージョンが入っていて、聴いていて可笑しくなってひとり楽しんで聴いてます。

誰が気づくんだこの遊びと思っていたら、演奏家界隈にはクスクス笑って同じ仕掛けを考える人が結構な数いるようで、高名な音楽家という奴等は揃いも揃ってそういうクソジジイとクソババアばっかりかと。いや優しさだとは思うんですけどね、涙が出てきます。

コンピュータ音楽と言うと譜面どおりに完璧に演奏する味気のないものをイメージする人もいるかもだけど、演奏をコンピュータに任せるのではなく自分で楽器を弾いてデジタル録音デジタル再生するのも広い意味でコンピュータ音楽の在り方で、通信を利用してこの真似し合って遊ぶ感じが2020年のいちばん面白い出来事だったのだなと思うのです。

まあJ-POPって和歌と洋楽の融合だよね

昨日のエントリーでぐちゃぐちゃと書き散らかしたんだけど、アメリカでのロックの成立以前に黒人のリズムと白人の音階は合体してると思うんだ。カントリーってのがそうなんだけど、西洋にそんな音楽があったわけでなく、新大陸発見から侵略と移住があって、ネイティブとアングロサクソンは対立の構図を持っているけど、どこかでは一緒に音楽をやって生まれたものの形跡は農村部にあって、編纂される以前に融和の道を選んだ人々もいることだろう。

けどまあ根深いよね。農奴として使って楽器を取り上げたりもしてる話もあるし、一度仲良くなっても仲間が他のところで殺されて再び敵意を持つみたいなこともあっただろうし。それでも俺の世代が戦争を知らないわけで、過去として文化度で負けている国ともつかない集落を渡来人が荒らして領有権を主張したとして、そんな歴史は世界のいたるところにあって、現状としては仲違いもあろうけど一緒に暮らしていくしかないわけで、互いの言葉や文化を学び合って落とし所を探っていく道はあると思うんだ。

音楽に対して所有権のようなものを主張して、電波に乗っけているのにレコードとしても売って聴いた人が鼻歌で歌うのは良いけど楽器を持って同じ曲を演奏するのに著作権侵害を主張するってのもとても略奪的な悪意と言うか強いエゴを感じるよね。

ところで、昨日なんとなく選んで聴いていた曲。幾田りらちゃんの新曲が"Answer"なんだけどBUMP OF CHICKENにも"Answer"という曲があって将棋マンガ「3月のライオン」のタイアップで、ハチクロバンプに将棋っていったい誰を狙って作っているんだ全部俺の好きなもんやんけと出た時は思ってたんですけど、曲をよく聴くと「砂漠の中のひと粒だろうが」ってワンフレーズがあるんですよ。

これ、コンピュータ将棋「やねうら王」ブログでやねうらおさんが「将棋における最善手を探すという行為は無数の指し手の中から計算機の威力で砂漠の中のひと粒を見つけるような作業である」みたいなことが書かれていたことに対する、つまり星野源の「創造」にマリオの音が入ってるみたいなアーティストの隠しアイテムだと思うんですよね。見つけると嬉しい。

ここは是非やねうら王の中の人に「バンプの歌詞は俺のブログパクってるから印税を砂漠の中の一粒分くらい分けてよこせ」と頑張って欲しいところです。

自己陶酔型ナルシシズムで俺は出来ている

なんとなく選んだギターであるストラトキャスターサンバーストであるが。

最近レコードでした聴いたことなかったビートルズをカラー動画とかで見て。

ああ、ジョンレノンとかポールマッカートニーばかり有名だけどジョージハリスンの持っているジャガーをどこかで覚えていて、似たようなやつだからこれ良いなと思ったんだろう。


Hey Jude The Beatles cover by Kyosuke Miyazawa(2021 02 17 9 19)

 ギターの練習は毎日欠かさずしているけど、成長はとてもゆっくりで気づかないほど。

いや自分では「これが出来た」「あれが出来た」ってステップは感じてるけど。

なんか声張って叫びたい主張があるわけでなく、ギターが弾けてみても俺の生活にどんな変化があっただろう、と思う。音楽に触れるっての現代の普通の触れ方って家でテレビ見てかかっている音楽とか、街に出て店内放送でかかってる音楽とか、それって通信の発達で世界最高のものが常に光速で世界中で同じものがかかっている。

つまり追い求めなくてもテレビでクラシックを聴いていればそれはNHK交響楽団であっても世界最高のオーケストラだし、クラシックのオーケストラが退屈な人がBiSHのオーケストラを聴いていたらそれは最新流行のポップミュージックなわけだ。

そこに自分で演奏を少しづつ上達することに楽しみがあるなら、それはもう原体験としてビートルズがあるだろうと。もちろん俺の場合はミスチルがそうだったわけだし、LUNASEAにも憧れたけど、そのルーツを辿ろうとしたわけでなく親父が記念に買ったThe Beatlesの全集をiPodにコピーして流し聴いてみた。英語の歌詞の意味はあんまり分からない。

それでも音楽性の発展の歴史においてビートルズの影響を受けて日本のロックシーンは出来ているはずなんだ。ロックンロールの誕生にはR&Bとカントリーの融合があって、それはアメリカのものであるという歴史を無視するわけではないけど、イギリスのロックバンドであるビートルズが戦後に日本で放送されて、その熱狂の中で育った世代が浜田省吾ロックの日本語化に追従したものが昨今のJ-POPってやつだ。

ギターの上達速度が思ったほど伸びないことにもどかしさを感じる部分もあるけど、弾けてみた完成形としてビートルズの枠に収まる袋小路な感覚もそれを手伝っている。

コード進行とか、ポップス理論は音楽理論としてのクラシックを壊してきたものの体系化という矛盾を含んでいる。これはロックの完成の過程で黒人音楽であるR&Bに白人音楽のカントリー要素が加わるということは先に書いたが意味を噛み砕くと、ノリで出来ている黒人音楽にクラシックの素養のある移民系の白人が音階を整えたということで、それ以上の袋小路はない。

そのアメリカのロックが伝統を重んじる英国でも模倣されて、電波に乗って日本にやって来た。クラシックが中世に発達して今もその形を残していることを考えると、俺がひとりでギターを奏でて新しいものが出来ないかと苦悩しても何か抗いがたいものにぶつかるんだ。

「新しさ」みたいな無形のものに悩むよりも、いっそクラシックのようにビートルズの曲の中から今の俺の心情に響くものを演奏してみようと思ったところが今日のHey Judeなんだ。

そう考えると日本の音楽には中国音楽の要素も雅楽の要素も全部入っているわけで、その日本で生まれ育った俺がビートルズで満足しているというのはまあ親世代の影響だわ。テレビやラジオに映画音楽。

新しいってゲームのボス倒すみたいに壊して出来るものではなく、ちゃんと伝統も学んで守破離の後に紡ぎ上げるって手順で考えてみたら、今は悩むより習うことかもなと思った。


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