都会のお寺の存続について

俺は仏教をインチキのように捉えているが、それはウチが光慶寺の檀家でそこの坊主が気にくわないとか、それくらいの理由なのである。

田舎で木彫りの仏像を彫る職人さんが「都会のお寺ってのは信用できないな、そんなところで仏教が出来るはずがない」と話していた。

しかし、よく考えると詐欺のように都会で仏教を始めて檀家を騙したわけではない。代々檀家であり、神社や仏閣があるところに近鉄国鉄が通って道路も敷かれビルが建ち都会化したのだから。

あんまり根掘り葉掘り行くと社会全体を論じることになり取り留めもなくなるが、その順序だけは念頭に置いておきたい。

お寺が気に食わなくて神社は大丈夫なのは、単にお布施が月3万円で神社のお札が年間2千円くらいだからなのである。もともとうちは公家で税収で成り立ち、憲法改正以降は象徴天皇で公家の身分は直接的な意味を失い、相続から家賃収入や自営業者として成り立ってきた。

そこから神道と仏教が結びついた八幡神社の氏子でありながら光慶寺の檀家なのである。しかし相続税の導入から度重なる相続で親父で三代目、俺が継ぐと四代目になるわけだが、いい加減に収入が減ってお布施が同じ額では辛い。3万だったお布施を一時は止めたのだが、代替わりしたので1万円だけ包むと祈祷の後に「3枚くらいは包むもんでっせ」というので次は千円札を3枚包むと後から怒り出した。

奈良のお寺はまだ栄えている方で、地方には無人に見える神社仏閣も多い。文化財として国で保護するとかしてもらって、檀家のお布施を軽減する方向に持って行って欲しいなと思う。


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