落ち着いた

なんか今までがずっと浮き足立っていたんだろうなと思うんだ。

生まれた時から祖父母に喜ばれて、おもちゃも買ってもらえて、失敗したことがないわけではないけど、色々なことがトントン拍子で進んで、何かで人に勝つことも当たり前のように感じてた。

プログラマで働いたお給料は自分ではどう扱っていいか分からない額だったけど、それは周りの人が与えて売れた仕事の意味を分かっていなかったからで、ウェブの仕事をするようになってGoogle社からもらったお金は額は言えないけど、とても少なくてその分だけお金のありがたみを噛み締めるようになったと思う。札束ではなく小銭をちゃんと数えるようになった。

世の中には、頑なな人がいて、性質がはっきりしていて、それを逆手にとって操って楽をしようとする人がいる。対して俺は何かしたかったら、自分は基本無形でしたいことに合わせて自分を変えたら良いという風に生きてきたと思う。自分が「こうである」と固まって意地を張ると周りに面白がられてからかわれた経験から、柔らかくなったんだと思う。

ただ、柔らかいのは良いけど、良い加減それで自分を変えて出来ることをして「出来た」だけで満足してきただけだった。カレーライスが作れた、ゲームで勝てた、ギターが弾けた。1回できたら後は同じことで仕事になる、という段に来て、飽きたから違うことがしたくなる。

そんな勝手な自分に愛想を尽かされて寂しくなることもあったけど、結局そういう付き合いはほとんどが寂しさを紛らわすために俺が損して相手の付き合いたい人に俺の方が変わればいいみたいな考え方が満たされない寂しさの根本原因だったように思うんだ。

NHKの朝ドラ「おかえりモネ」の妹が震災の日に何があったか、ネタバレるとゆすっても動かないお婆ちゃんを置いたまま怖くて自分だけ逃げてしまった、後でお姉ちゃんが自分のところに駆けつけて、お婆ちゃんは後から大人が助けてくれたということを涙で打ち明ける。

このダメでどうしようもないと自分で思っていることをお姉ちゃんに打ち明けて許される。

なんかそういう意味では俺は誰にも許されていないというか、許されているのではなく何かの価値提供があって利害で全てが成り立っているみたいなとこから、少なくとも自分だけでもダメな自分を正直に認めてみようという気持ちになった。

取り繕うことなく、俺はダメなんだと思ってみた。そうすることで、何か地に足がついて自分で自分がダメだと思うところひとつづつ解決していけばいいじゃないかみたいな安心が出た。

「君はひとりじゃない」みたいな励ましの言葉ではなく、人の中には独りぼっちの人がいて、その人のためにテレビやゲームや本やレコードとかはあって、まあ作ってる人もいることを考えるとひとりじゃないかもだけど、道具でひとりの寂しさを穴埋めして生きる生き方に対する自己肯定感みたいなものが生まれた日だと思う。


🄫1999-2023 id:karmen