もしアメリカ人が日本にポツンと置かれたら

もし日本語が分からないアメリカ人の子供が飛行機で日本に連れてポツンと残されたら。

俺は幼少期に部屋で一人ゲームウォッチで遊んでいて、小学校からはファミコンをした。

中でも好きだったゼルダの伝説のアルファベットで書かれたアイテムの名前を見ていた。

母親は人の話を聞かないで勝手にペラペラしゃべる。父親はちょっとしたことで怒る。

家では話さず、学校では授業中にあくびをして、宿題はせず本をよく読んだ。

中学で同じようにゲームをしていたというひとりっ子の同級生と学校そっちのけで遊んだ。

だけど他にはゲーム機より中学からパソコンで遊んでいるグループとは壁があった。

ゲーセンでゲーム雑誌の専門用語が通じ合う同士で毎日ペチャクチャと喋っていた。

言葉が分からないとは思っていなかった。高校まで国語と英語の成績は充分だったから。

しかし、気づいたのは周りの方が語学の成績が悪くて、マンガの話に夢中だったこと。

「お前の話はメチャクチャで長すぎて何を言っているのか分からない」とよく言われた。

就職してから、ひとりコンピュータと向き合ってそれをC言語で操るのに夢中だった。

世間知らずでもプログラムが分かるというだけで雇ってくれる会社があったものだから。

話を飛ばすと、今NHK政見放送で右の自民党と左の共産党の主張を聞き比べている。

プログラマをしていた時、他のものが「コンピュータにそんなことできない」と断じたことに「いや、こうすれば出来る」と言い出して、また黙ってプログラムを組む。それが数千行になるということが良くあった。俺はそれで「出来た」と喜び経営者からは「良くやった」と給料を増やしてもらえたが、他の人からは「そこまでやらないといけないのか」と嫌がられた。

俺は自民党を推しているが、それは実業家に自民が多く法律を変える議決のためには議員票数が必要で、政治を変えたいと野党が主張しても票数が足りないと実現力はないので、左の主張は言葉ばかりで、それを実現するためには自民党を説得して議決してもらわないといけないと考えるからだ。

そのルールの中で法律を変えてゆくということは法律を変えなくても問題ない立場の人にしてみたら「どうしてそこまでやらないといけない」と思うような仕事なのだ。

言葉が分かると言っても、物の名前つまり名詞やその動き振る舞いつまり動詞で「何がどうした」という目で見えることしかわからない人も多い。マンガが読まれたりテレビが見られるのはそのためだろうと思う。

その中で、政治家がしていることは何だろう。街宣車の上やテレビカメラの前で演説をしているだけのように見てとる人も多い。その中で「得票のために仕草と言葉で訴えていることが人の心にどう響いているか」ということは聞いている人がどれくらい言葉を分かるか。ということになり、法案を作って議決するという国会のルールとはワンクッション置かれた議員選出の国民投票の時点で訴えられていることというのは短く心をつかむフレーズで説明不十分だと思う。

では十分に説明するにはとなると、多くの場合に書面になって、政治家の部下が書いている。

議決権を取るためには自民党でないといけないが、その傘下にいる人が書面をすべて改める仕事を果たしてしてくれているかというところが今回の選挙の俺なりの争点だ。

俺が高市早苗に入れると決めたのは、文部科学庁長官の実績で霞ヶ関にいる官僚ではなく「大学の先生を集めて文書を改めてもらったらいいじゃない」という考えなのだ。

それらが遂行される頃には、日本にポツンと置かれたアメリカ人が日本語を覚えるのと、周り全員に英語を教えて国をすっかり変えてしまうのとどちらがいいかみたいな根本問題がどちらかの形で解決しているだろう。

先生には左の人も多いのだが、ここで本当に文書を改める仕事をしてもらって、自民党の官僚と大学の先生どっちがいい仕事をするのか。科学の時代というなら、それを証明して欲しい。


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