東京幻想

 NHK朝ドラ「らんまん」楽しく見ています。牧野が東京大学の出入りを許可されるシーンは胸アツでしたが、今日の色恋にどぎまぎする万太郎てか神木君はどうよ?

 それはそれで置いといて、ゲームを作るのには任天堂に入社しないといけないとか任天堂のような会社に入社するには東大を卒業しておかなければならないみたいな勘違いは、奈良県の1996年あたりの我が家と学校の先生あたりにはあったと思うんです。

 冷静に考えて、まあ任天堂のゲームが面白いと思っていたにせよ北海道のハドソン、石川のアイレム、広島のコンパイル、長崎のテクノソフトという別々の立地でゲーム開発が出来ていたのにはコンピュータでゲームを作るという仕事が地理的要因がそこまで重要でもなく、強いて言うと工業地帯のまわりに事業所があるケースもあったかもだけど、設備はパーソナルコンピュータがあって、電話線が来ていればパソコン通信も出来て、どこでも誰でも出来るから参入者がめちゃめちゃ多くて商業的に残ったのがそれらの会社であったということ。

 それでも現実問題として、現代のIT企業の大半は東京都に拠点を構えている。鎌倉時代とか江戸時代からの経済的とか組織的な名残があるんじゃないかとは思う。大都会東京のイメージと、牧野が訪れた頃の東京の再現映像はずいぶんと違ったものだと思ってテレビで見ています。

 日がなパソコンにかじりついて統計データとかニュース記事を読んでバンドのライブ映像とか大相撲とかゲーム大会を観戦して思い描ている東京像は貧乏なギターの弾き語りひとつでも映像クリエイターがめちゃめちゃカッコよく撮っていて、そういうのに騙されてんだけど、大阪の梅田あたりとどんくらい違うかというと、都心部もあんま変わらない気がする。京都の四条あたりに観光に来て関西と関東は違うねぇって話は聞く。

 まあプログラムがNAND回路で出来ているとかIF~ELSEの塊であるとか言う基礎が分かったとして、アドレスに入っている二進数が数である以上は四則演算に変換可能な計算機であり、算数が分かっても数学が難しいように高度なプログラムも読めばわかるってもんではなく、それを理解できるものだけが上位の仕事をこなせる。

 絵を描いている人でも多分基礎は分かるけど、プログラマは専業化して、俺は付いていくのをどこか諦めて、懐かしいドット絵のゲームでも楽しめるなと思っている。

 まあ、東京大学というのにも権威ある学府としてではなく、そこで学ぶものの思考とはいかなるものかってのにどこか幻想を抱いてきたけど、わかりたいなら受験勉強から地道にやってみろって正論が、追跡するとどこか飽きてくるものでもあり。

 昨日は夜道コンビニまで缶チューハイを買いに行き、部屋で飲んでそのまま寝て朝から鼻をすすっていたが、昼食後にちょっと仮眠して体調はだいぶ良くなった。

 健全に考えて、東京大学の入試は厳しいが制限時間内に合格点を競っていて優劣が付いているだけであって、じっくり時間をかければ論理的にわけが分からないということも無いのかなとも思っている。ただし世の中が競争である以上は早いヤツに遅いやつが勝てる道理もまたなかなか無いもので。どこかで後手対応になったと振り返っている。

 いままで抱いていたのが幻想だとしても、その差の開きを距離として現実に遠いなとあらためて実感している。


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