ノブリスオブリージュの意味を今更に知って

 まあ、子供の頃はそういう風に育てられたものですが。

 1998年ごろ高卒でバイトして貯めた金で家でスーファミで遊んでたら文句言われて、まあそりゃそうだと思う人もいるかもだけど自分で働いて貯めた金で遊んで何が悪いと言うと母親としたら育てた見返りにカネ稼ぐようになって自分にくれって程度の話で。

 そんで専門学校行ってゲームクリエイターになるぞと意気込むも国家試験の案内があって勉強したらサクッと通ってしまって、その証書があると食えるらしいということで授業を卒業ギリギリくらいまでサボってゲーセンで遊んでた。悪い仲間がいた。

 ゲーセンに通うようになったのは悪友の誘いもあって、それ以前はファミコンとかスーファミとかメガドラとかPCエンジンで遊んでおもちゃ屋の店の中にテレビが置いてあって貸し台状態で遊んでいたが、おもちゃ屋の中にゲーセン筐体を置いた無許可営業のゲーセンで遊んでいたのは俺が分かっていなかっただけで学校の先生にはおもちゃ屋で遊ばせてもらっていると言って実際には不良仲間が100円玉を店に入れさせ、それで不良仲間の方が店の店主からゲームソフトをパソコンのフロッピに焼いてもらって回してもらうみたいな仕組みがあったっぽい。

 まあ、誘いに負けた自己責任もあるが受験戦争で勉強で競うのではなく遊びに誘って足を引っ張る部隊と頑張る部隊がいて、宮家のガキを降ろせばミッションコンプリート。それが1995年頃までのことで、俺が国家試験に通ったとか大学入試以外にそんな道があったことは事後報告的に、多少は救われた感じがしていた。

 その頃に足を引っ張った張本人とは別人だが、宮家許すまじで結託しているという意味では同じグループで俺がゲームで遊ぶならゲームで勝負、歌や楽器をするならそれで勝負ということで、俺の住むのが奈良なので近辺の人はそんなの誰か雇ってやらせればいいみたいな感覚だったようだけど、俺が自ら選手や演者を買って出ることで俺は戦友くらいの気持ちで同業者と思っているけど相手にしてみりゃカネ余して遊んでいる奴を雇われてやっつけなきゃならんみたいなすれ違いもあって、ここはまだ進行中。

 2002年ごろの俺はゲームをひと段落して、色々な経緯で創価学会公明党の活動員になっていた。それで本屋のビジネスマン向けの文庫よりちょっと広い紙で薄めの新書などを読み漁り、どうやら今後はエネルギー問題とか地球温暖化対策をしないといけないという風に洗脳されていたのだが、これが創価に居たので公明党の議員に丸々政策として打ち出すという話になって「エネルギー問題」というのが俺がサラリーマンから議員になるために作った単語であるみたいに解釈された。

 しかしまあ、分かる人もいて本を読んでくれて「大事な話なんですね」と。

 それから趣味でアップル製品を買ったことが、仕事やら政治やらで上手いこと行きかけているときで昔の足引っ張り仲間が「どうやらアップルらしい」と謎のスパイ活動をして国産品より日本でアップルが売れる謎の経済的な空白時期がやってきた。

 富士通からの仕事が無くなってマスコミの変な堀江報道を大阪の市民のうち「アイツのことだ」とこじらせた筋から路上で発砲されたりして軟禁状態にされ統合失調症と診断されたのはゲーセン仲間のうちでも仲の良いグループが病院に連れて行ってくれたことからで、俺は借金を抱えていたが皆はそれを知らず、この28歳くらいで障害年金の受給要件を既に満たしていた。周りは俺がそういう制度を知らないことも知らず、俺は30代で入院中に制度を知り、40代で受給を始めた。裁判もした。

 30代の入院生活は2013年ごろからだが、退院後にギターを買い、家でゲームをするようになっていた。この頃には政治のことは実家に帰って親と話した後に後を継ぐ可能性も出て来て参院の自民議員に投票するようになる。

 それからのことをかなり端折ることになるが、ギターとゲームを頑張るのは闘病中に失われた人格を取り戻すためのリハビリテーションのようであった。「俺、これ好きで生きる活力だったはずだよなあ」みたいな。

 それで現在45歳、G7が開催されているが、ゲームを続けてもギターが上手くなってもエネルギー問題も地球温暖化ウクライナとロシアの戦争も何も解決しない。

 ただ、エネルギー問題に関心があるということを公言して市民が興味を持ってくれた時の俺は少なくとも大阪でそれなりに人脈があったはずなのだ。

 だが、病中病後というか今も病気だが、ぱったりと連絡は途絶えている。

 なんでそんなことを勉強していたかというと、今更にあの頃の俺を支えていたのは高い身分に応じた責務として大義を背負うことであった。

 今は俺は自分の身分は自意識的には低くあると見ている。旧宮家というか今でも姓は宮澤だが、政府や企業の動かすお金と比べて、自分の裁量で動かせるお金は知れている。ただ、滅多に人と会話をしないのだが、取引先の銀行とかと会話をしたら自分の意見に対してどこからともなく後押しで巨額の投資が来るということは誇大妄想もあるのかもだが、不思議とそんな感じである。

 だから「庵野エヴァンゲリオンの続編を作らせろぉぉ!」みたいな意見ではなく、ちゃんとニュースとかを見てマトモな事言わなきゃダメよねと思いつつも、NHKの傀儡のようになっていて、NHKの制作部が呼び水のように俺に何かを言わせる番組作りをしているのだろうなぁ、とは思っている。

 ギターもゲームもそれから比べたら余興だが、俺がそれ好きだから用意されたかのような「お友達」を腹心のように大事にすべきなのかもだが、元気が出てくると宮家を敵に回しているような人の送り込んでくる刺客と、多分ガチでやったら負けるし下手すると命すらも危ういんだけど、そこ勝たないと求心力はないでしょみたいに自分では考えていて。プログラムとかIT関係の仕事もね。

 でもまあ、俺にその実力は多分無いし頑張った結果は天才ではなく凡人で、履かせてもらった下駄の高さを上手く乗りこなせない人生だったと振り返ってみるのです。

 そして繰り返しになるけどエネルギー問題とかは「大事だよ」ってことを周知しているだけで、ゲームの勝敗とかギターの演奏ではエネルギーは湧いて出てこないわけでして。お粗末様でした。


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