最強キャラとの呼び声も高いエディを選択しているのですが・・・
晩酌のお酒が抜けたと思って挑んでワンコインでボスイノまで、
その後15回コンティニューしてるってどうゆうこと?
俺はまあおだてられて木登りもしたがそのついでゲーセンに来て自分を負かす人に
「強いですねぇ」とかおだてられたのを真似てほめ言葉を送ったりもしていたけど、コンピュータに15連敗するわけでウメハラに15連敗1勝とかだったことあるけど、ウメハラもコンピュータのボスイノも勝率取ったらそんなに変わらないんちゃうかと。
まあ、負けながらもハメパターンが無いか探してはいるんですけど、自分で強い連携できた良い動き出来たと思ってもコンボになっていないと割り込み無敵技とかで逆転されたりして「この連携は手癖にしちゃったらアカンねんなぁ」というのを負けながら学習しているわけです。ゲーセンでそこらへんのお客さんを狩り倒すのに慣れちゃって、手癖できつい連携とか組んで作業っぽく勝っちゃうから、逆手に取れば待っていれば連携が来て割り込みポイントが確定反撃ポイントに近くなっちゃう。それで負けて覚えて割り込みポイントで相手の技を誘って勝ったところで10連敗くらいしていて、いちど勝つと相手は席を立って独りでするか、大型店なら他の大勢のお客さんとするか。
ああ、もっとお腹いっぱい満足いくまで強いプレイヤーとしたいとか、あの頃は思ってたけどそれも闘劇とかで箔の付いた強プレイヤーだから白熱するのであって、ストIVとかで毎日ゲームしているオンラインの小中学生とかとやりたい放題ってなったら、仕事でも無いのにやってられっかという気分になってしまってやめたこともあり。3DS版のスパIVは今をときめくスト6のモダンみたいにタッチパネルで必殺技が出る「ライト操作」てのがあったんですよ。そんで通信ラグもあって、こっちはガイルで歩いてきてスーパー百貫落としをタッチで出すエドモンド本田とかをサマーで返してへとへとになって最後はタッチで波動拳と斜め上波動拳をポンポン繰り出すゴウケンに勝って10連勝メダルをもらってそれ以降二度とやらなくなりました。今思うと勿体ない気もするけど、あの頃は何かそれでもう披露マックスだったのです。
そういう風にスタミナや根気にちょっと難のある性格をしていて、もっと長期プランで事に当たるようになって、瞬発力より持久力を考えると何かに秀でているわけでもなく普通の人なんやろうなぁと思うわけです。病気で薬を飲む前は天才肌みたいに振舞ってたけど、薬を飲んでグルグル考えるではなく受験勉強のおさらいをして「誰でも愚直にやれば成果が出る」という眉唾物の話を騙されたと思って飲んでやってみたんです。
そうすると愚直な勉強にも問題を解くような頭の良さではなく反復練習のいる記憶の分野とか、記憶は苦手と思っていたけど解く系の数学も考えるときに公式の丸暗記をしていたら解けるスピードが上がって、それで同じ時間で解ける問題数が増えて点が上がる。だけど酒とたばこもしていて、年のせいか健忘もあって、成績をはかってみると勉強する前が高三からなんだけど、大して変わらなかったんですよね。
ゲームもプロ制度が最近あるけど、カプエス2なら「ときど」や「D44」の真似もしてみたし、安直なようで強い人を真似ることで、レースゲームのゴーストを追うような確実さというか自分はここまで出来ていて相手の方がこういう所が上手いなって素直に思ったんですよね。それ以前ってもっと感覚的にゲーセンで勝った負けたで「俺はアイツよりは強くてアイツには負けてる」みたいな店の中での序列ばかり気にしていたけど、もっと広く見て、そして目標値を国内大型大会優勝とかに置きなおすと、まあ国技館とかカプエス2全国とかとは矛盾して思えるけど、優勝をお題目にやっていた割にあの頃は遊びの要素の方が強かったかもなって思うようになった。
ただし、それって遊びを捨てて勝ちに行くわけで結果が出れば良いんだけど、それで結果が付いてこないと本当にただの自分いじめみたいになって、それでいて周囲からは昼間っからゲームして遊んでいるって思われるもので、ついに辛くてあきらめました。
思うに格ゲーってフルマラソン的な競技ではなく、まあ曰くゲーム読み合い心理戦はあるものの、フレーム単位の操作をスプリンター的に試合の前に最高のテンションになるように仕上げ合う要素もあるのかなと。長期に取り組んでも変化は小さいんです。
そうしているうちに、過去の自分より伸びているうちはモチベ保てたけど、ある頃から昔の自己ベストからだんだん遠ざかるようになって、40代になったのを境に続けることすら辞めてしまいました。ことカプエス2に於いて。
それが最近GGXXに興味が行っているだけで、これどれくらい続けるのか自分でも疑問なんです。ソルとアクセルくらいしか使いこなせない頭で「GGXXって極めるとどんなゲームになるだろう?」とふと思ったソルやアクセルは多分幾分極みの境地に近づいていて、多分そういう事ではなく強キャラに乗り換えたらまた勝てるようになると踏んだんですよね。
その意味でエディは極めると強キャラかもだけど扱いが難しく、今日もボスイノに3回9回15回と計27回コンティニュー。最初のスタートを入れると既に1日で30クレジット分遊んでいるんです。これサラリーマン時代のカプエス2の1日のコイン量とほぼ同じじゃないかと。
家でコンピュータ戦でもそれくらいあったまって、その現実逃避レベルが高くなるほど生きる活力もまた戻って、心の疲れにはやること目標があるって案外良いもので。
まあでもこのゲームでも20年前に作った人がいて、調整版が7作くらい出ているわけで、作る人も仕事なら遊ぶ人も皆さんなかなかにお暇があるんですねと人ごとみたく。
世の中には貧富の差があることは分かるけど、遊ぶことに夢中でカネも暇もあるってのが豊かなら、それでも社会を支えるに労働は必要で、貧富とは言わずとも何か職に付いているのと遊んでいる者がいるその境遇の差はなかなか埋まらないだろうと思いました。
揶揄されていた「働くから貧しい」というワーキングプアからは脱しましたが、そうすると暇はあるけど自由に使えるお金の額との関係でPS5購入に踏み切れない別の貧乏に直面しているわけです。買ったら生活がその分豊かになるとも思えないというか。
メシがインスタントの偏食という所からはどうにか脱して、あとは自分が何をすれば幸福になれるのかという自分へのご褒美の打率みたいなものを上げて行ければ。
その意味ではGGXXAC+でエディの「まわれ」が変わってて「何か違う」となったのが青リロも買うことで「これだよこれ!」ってなったから、買い物としては良かった。
繰り返しになるけど青リロがGGXX界隈の最大派閥で多数決的にそれ取ってるけど、同じ論理でカプコンのヴァンパイアを見たらセイヴァーが多数派かもで、思い返せばそれには迎合出来なかったしそれが若かったからとかではなく拘りがあったからだと思うんですよね。「長い物には巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」と言い聞かせつつ、それって下手を打つと鶏頭牛後に反している気もするし、科学的ではなく民話に含まれることわざとか成句でモノを考えるのって小学校までかもねってあらためて思った。
そうするとコンピュータ戦の戦績だけで見たらエディが特段ボスイノ戦の勝率良いわけでもなく使いこなせていないと弱キャラちゃうんかなと疑う目も失わないように。
まあ強キャラって普通対人でキツイ連携とか持ってるかどうかだから、巷のキャラランクと闘劇の結果と参加者の中でも誰がどれくらい本気で取りに行っていて、沸かしている人とか本当に居ないかとかも併せて考えると、バラまかれている情報など大した役には立たなかったという思いもあり、それって「青リロが最高」みたいな情報も同じじゃね?ともういちど疑ってみたり。でもまあ、多数決でSNSのポスト数とかでも多いのは確かよね。それを信じないでパソコンをどう使うって話であって。
ホントに酒が抜けちまったら寝酒にもう1本飲まなきゃね。ふと押し寄せる虚しさよ。