
「おおきづち」に「やいばの盾」で3階レベル5。
わざわざ言葉にして残すことでもな無いけど、子供の頃ってゲームが楽しくてそればっかやって、勉強するのは勉強それ自体の楽しさもあったけど「勉強できないのをゲームのせいにされたら大好きなゲームに申し訳なくて嫌だから」という謎の論理があった。
んで高校の時にストIIターボで国技館'93に行くのに休みもらって担任の先生も知ってて、んで大会は結局優勝ではなく本戦1回戦敗退なんだけど、その頃から将棋部の顧問の先生が「強い子は中学からやっていてその道でないと、ウチの学校にも強い子いたんだけど高校上がったらもうダメだったな」みたいな話をして、公平の観点から「そういう道のある子に進学までさせるのはどうか?」と職員室でも議論があったらしい。
今から思うとそういう道もこういう道もねーよ、小坊だましのファミコン大会に恥ずかしい高校生が混ざっただけだよとも思うんだけど、国技館を貸し切りにしてゲーム大会というのは右から見ても認められているというか、世の新しいものがこれから来る風潮を感じ取る向きもあった。
んで、いまトルネコ3を200回を前にして192回目で折れそうな自分に「勉強できない理由をゲームのせいにされたくなかった俺が仕事や勉強で忙しくてゲームできない事にしようとしているの、ただの仕返しではないか?」と思い始めたのよね。
周りには「道を1本極めよ」みたいな圧があって、ゲームはする、パソコンもする、ギターも弾く、マンガも好き、何故か勉強している、会社員でもあった俺をとかく「どっちつかずの半端もん」にしたいという圧があって、半端もんが何かに勝つとその道のもっと上の人と比べて「まだまだ」みたく来るんだけど、考えたら高校の時1回戦敗退でも本戦出場で「その道」よ?サラリーマンがクルマでキャンプにいってBBQしたからと言って会社かレーサーか焼肉屋のどれかにしろなんて人はひとりもいないわけでさ。趣味よ。
あるとしたら、会社もクルマも「役に立つもの」として社会の多くの人が無自覚に認めていて、ゲームとかギターだと役に立たないからその償いは道を極めることでさせなければならないみたいなことが応援者本人が出来ない事であることの羨ましさの裏返しで強い圧となるのかなぁ、などと考えていた。
まあ、そこまで考えずに「なんかなしに」色々とヤジが飛んでいるとは思うけど、野次や檄のひとつひとつの攻撃者に心理分析をすると、考えること多すぎて頭おかしくなるよ。ドラクエのアイテム「ローラのあい」みたいなもんで、婚姻者との以心伝心を語る人はたまにいるけど、有名ってか何かの渦中にいて囲う人それぞれの言葉が罵詈雑言からひとりひとりとの心のメッセージだと思った瞬間から、病気が始まっている。聞き流せない。そうなるともう繁華街の飲食店とかでメシ食ってもざわざわした喧騒から誰かがその中に俺の悪口を込めているみたいなのを聞き流せなくなって発狂する。
そういう急性期は脱したと思う。最近外でメシが食えてスーパーに買い物も行ける。ただし、どっと疲れる。プログラミングを覚えてゲームの見え方が変わったり、ギターを覚えて音楽の聴き方が変わったり、確かにひとつなら特技として良いかもだけど、色々なものに見え方の変化があると、チョット生活するのがものすごく神経を使って常にヘトヘトみたいになってる。
それでゲーム強かったりギター上手かったりしたら、まあいいんだけど、そこに「もっと上の人が」って比較されるともう投げだしたくなっちゃう。俺の分は無いのかと。
そう言いつつも今日も13分15秒、1日約15分はトルネコに向き合いました。