多分、負けても楽しめる

 前略、トルネコ異世界4階中断まで。

 荷物がいっぱいで水がめを置いてレベルアップ直後に草を飲むのは不幸の種対策なのだが何としあわせの種でレベル7で5階へ。

 なんか不意に心が軽くなってトルネコ好きな人が勝つのが好きな人だったら絶対にクソゲーだって思うわけで、負けても楽しめる人になることが長続きの秘訣なんだろうと思うようになったのです。

 4階終了時で25分26秒だからこのペースで99階降りたら6分1階ペースで約600分=10時間!勝つか負けるか分からないゲームを1回10時間かけてぽしゃった時にメンタル持つか考えたら「絶対勝たなきゃ」みたいなプレッシャーに負けるようでは多分全然だめで、回数にして1000回遊べる不思議のダンジョン、1回10時間なら見事に1万時間の法則が適用されてるんとちゃうのかなって思えてきた。計算。

 飽き性で同じことを繰り返すのが苦手なはずの俺でも、階段降りて台所でタバコに火を点けて裏庭にって一体この引きこもり生活、退職してから何回やったんだろうと思うとギターの練習よりタバコで無駄にした時間のがはるかに長く、そしてタバコを吸っている間は物思いにふけるのが楽しいわけで、不思議のダンジョンの序盤のレベル上げがかったるくなっても1000回やる頃にはながら作業で難なくこなせて繰り返しで飽きてるなら何か他の事考えながらでも出来るようになってんやろうなと思って見た。

 そう思うとレベル上げの繰り返しの中に何か出来ないかと思うとその実験が新しい技を生み出す練習の場にも当然なるわけで、今回の調子の良さは運だけでも無いかなと。

 まあゲームコレクター的側面から考えて、数があるから1本あたり短くしてもらわないと全部遊べないみたいな裕福から来る貧しさみたいな反転生活は乗り切って、今持っているゲームでも必要十分より有り余っているわけで、そこでトルネコ掘るのはこのゲームの上手い人、越せる人の心持ちってどんなだろうって未知体験とか未知境地がそこにあるんじゃないかって宗教の解脱修行みたいな魅力をどこかに感じてた。

 そしてDS本体の電池がへたるのとクリアするのどっちが先かなとちょっと心配もあるけど、去年の春まで6年くらいカプエス2やったのも、やってる時これでPS2壊れてカプエス2を遊ぶ台が無くなったらどうなるんだろうって思ったことあったな。

 それはスーファミストIIターボに戻ることで、何時であれ何であれ大丈夫みたいな感覚をいつの間にか手に入れていた。それと3年前のトルネコとどっち先か忘れたけど。あと積読が大量にあったら引っ越しで全部積めるか心配だったけど、最近だいぶ消化されてそれも無くなってもまたイチから集めればいいかみたいに思える。

 ただしシレン6発売とその流行でマイペースだと取り残される感をSNSから抱いているという新しい危機もあって、その前はスプラ、そのさらに前はゼルダの新作に悩んで、その蓄積が「昔のゲームと今のゲーム違うね」みたいなギャップになって行くのかなって不安も抱いた。何故買わないかというとその分貯金+1万みたいな。だから通帳が無くなったらみたいな不安も時々感じる。貯金は安心のためなのに貯め過ぎて泥棒の心配しているてのが何かがおかしい。ただセコムにやるカネはない。

 ま、今日の話はそこまで。精神か心理が新しい境地になったと言えば大袈裟かな。


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