「ルサンチマン」不幸であるべき

 幼少期の食事のことを不意に思い出す。祖母(既に亡くなっているが生前の事)が母を睨みつけ「ネコが!」と言ってから肉を噛んでいた。「はい、にゃんにゃんにゃん」嚙んだ肉を口から出して幼児の俺の口に入れる。マズい。「はい、ごっくん」俺は青ざめて震えてその肉を飲み込んだ。それを見た母は「ばかっ!ぺって吐け!」祖母「どや、ワタシの言う事聞くやろ?」真っ赤になって泣く母。幼少期のトラウマである。この時俺は俺はバカなのだなと強烈に刷り込まれた。

 こんなこともあった。祖母に馬鹿にされていた母はある日言った「私、この子を医者にする!」なんとなく、俺は将来医者になるのか程度に思ったが、医者になるには勉強が必要で大学を出ないといけないことくらいは分かった気がするので、小学校くらいのことだと思う。

 中学受験が過ぎてから、高校くらいで俺の成績は下がっていた。そんな俺には母は「はい、これ食べ!」と言って賞味期限の過ぎたプリンを渡す「賞味期限過ぎてるけど・・・」「大丈夫よそんなん!私も食べたるわ、はい、大丈夫」食べて具合が悪くなって学校を休んだりしていた。

 「お姉ちゃんも祥ちゃんも賞味期限の過ぎたものなんて絶対に食べへんのに、あの子食べるのよ。そんなことも分からない子が医者なんかに成れるわけないわ」

 母が誰かに愚痴をこぼしているのが耳に入った。俺は悔しかった。

 しかしまあ、母の希望は医者だったことは何となく覚えているが、高校の選択科目で生物は普通、化学がダメ、物理が良いで、物理を取るなら工学部などの物理化学、医者になるなら生物化学で得意の物理生物を選択したいと言ったら担任からそんな学科は無いと言われた。遺伝子を物理で組み替えたり出来ないのか、そんな研究がしたいとか言ってみたのも覚えている。

 高卒でバイトとなり、二年後サンタックコンピュータ専門学校に進む。偏差値は40台なので二年勉強していなかったが受かるだろうとナメていて、実際受かった。

 それからゲームか研究所の選択で給料の安いゲーム会社を半年で辞めて建築物の耐震強度をソフトで研究するユニオンシステムの開発部に入ったが、守秘義務という事で家族にも何をしているかは言わなかったし、当時はシステムのプログラムのソースコードとにらめっこだったので、そのシステムが社会においてどういう機能を持っているか、今なら設計段階の建築物の図面に部材を入れてシミュレーションして強度を予測するとまあ、分かるわけだがそこまで説明も理解も出来なかった。

 給料がべらぼうに良くなった俺は周りに自慢した。大卒22万の時代に25万もらっていた。しかし、それは大卒正社員の嫉妬は買うし、フリーターや遊び人にはパチスロで月に40万円稼げるという噂で大したことのない仕事だという風に貶された。

 それは母も小耳に挟み、その頃には他の男と住んでいたが俺を呼び寄せ酒を注ぎ「なあ、アンタなんぼほどもろてんの?三十万?」「まあそんなもんかな」「マネージャーなりよ?もっともろてるらしいで四十万や」「そんなもらえるわけないやろ」「あほ!もろてるんや、皆もっと!」「そういや母ちゃん俺を医者にしたいとか言ってたなぁ、お医者さんにはなれんかったけど・・・」「そんなんええねん!私お金欲しい」

 その言葉に、俺は人間なんてそんなものだという絶望を感じていた。

 母は素直で、幸福になりたいのかもしれないなと、そのためにお金はジャンジャン使って、幸福そうだった。母の幸福のために俺は不幸になっている気がして、しかしまあ子供時代は母に世話をしてもらったから独り立ちして母も父から離れて自由になったんだとは思ったが、頭の悪い俺でも数字だけは分かるので、母に払ったら損で意味が無くなる程度に勘定した。

 まあ、ここまでの話だ。母は今も生きているようだし、電話とメールは通じる。お金も貯めてあるから、今更だが渡すことも出来るだろう。ただ、その許せる心境になるまで今まで何度も幼少期からの事を考え直して、ひとりで抱えていたので誰かに話したくてこの文章を書いた。

 子供の頃から周囲に寺や教会があり「坊主丸儲け」とは言うが、俺はそういう宗教すべて清い信者であるべきで、本当は住職や神父が悪だくみで儲けていると教えられても、そんな裏切り者の悪い人になるのは醜いと思ったし、醜くなると心が貧しくなって不幸になると考えていた。

 しかし、最近になって、病気で姿が醜くなっても良い肉を食うと旨いし、嫌いな人は裏切ってしまったら良いのではないかと考えるようになった。


🄫1999-2023 id:karmen