ベンゼン環を疑っている

 数学を勉強しているうちに虚数や極限などどうしても飲めない概念と戦い、そのうちに大学の数学(当時)に嘘があると言い出した。

 俺の主張は通らなかったが、いつの間にか学校で教えられることが少しずつすり替えられてそんなことは教えられなくなり、その年度に学んだものがバカを見るだけとなった。ちょうど就職氷河期と被っている。

 何がおかしいってiπ乗するとか、定義も無いのに平然と数式化して物理学で使われているのだ。例えは悪いかもだが、マンガの駒にアに濁点を打ってセリフとして書いているのと理屈としては同じだと思う。なんて読むの?と問われて吹き出しにアと濁点があるようなものだ。

 数学は好きだったから、そういうのもが数学の真理を壊していると思って憤ったものだが、今はそんな義憤のようなものは無い。苦手だった科目も補って勉強していけばまた新しいことが分かるかもしれないと思ってやっているのだ。

 そのうちに化学でもベンゼン環の元素模型にナノメートル単位で大きさが書かれているのだ。分子も原子も見えないし大きさも分からないから化学の実験と体系があるのに、いざ有機化学となってその構成を示すのに原子同士の距離が分かるとするなら、それまでの体系は何であるのか。

 同じように今ドラマで流行りの草花もセルロースのひとことで片付き、セルロースセルロースたるゆえんはヤギに食わせると乳糖になりそれを人間が飲むと栄養になる。小学校でも鶏肉でも豚肉でも牛肉でもタンパク質で食べると体になるということをぼんやり分かると思うが、そういうことが医書に回りくどく難しく書かれているのだがヤギに食わせると乳糖になるとして、人体を学ぶための医書にヤギが出て来てヤギの体内について何が起こっているかには触れられていないあたりが詐術的だと思った。ほんとうのことではあるかもだがな。

 しかし、もう遅いのだ。俺は本を求めて既に書籍代を店に払ってしまった。そのことが間違いの始まりだったのだろう。理科実験ではなく書物から学べば容易いと考える安直さから分厚く高価な本を求めて、読んだ結果として当たり前のことを迂遠に書く詐術に騙されたということを悔いているに過ぎない。

 その中で、実験証明したわけではないが、多くの知識があり、普段食するものも畑や工場で作られてスーパーで売られているものを食っている。そんな生活でも、コメはいくらくらいで魚はいくらくらいで肉はいくらでヤクルトも飲んで朝はパンでパンは食パンより具の入ったものを選んで合計はいくらで月に何回行って収入からお釣りはいくらで、今月も余りが出たからゲームでも楽天でぽちくりしようかと計算はしている。

 そう、多くの本を読んだのも、そういう暮らして生活費から寄せて出たお釣りで本を買って学ぼうとして、そのうちに図書館にも通うようになり、そしてやがて多くの本が著者の研究ではなく先立った本を読んで同じように書いたものであるのではないかと疑うようになったものである。

 研究ってどうするの?というところが大学で何かを研究しないと卒業させてもらえない学生の悩みなのではないだろうか。

 そう思うと、どうにかこうにか勉強して、教授から研究と認めてもらって本を1冊書いた人が世の中にはたくさんいると思うと、それだけ騙しのロジックがあって、そうしないと生きていけない世の中だから、憤るではなく1杯食わされたと許せるかな。

 そうすると、ベンゼン環も疑うに至るまで色々の勉強をしたわけで、根本的にそこがおかしいとしても、ベンジンは薬品として存在するわけだし、最近売ってないよね。子供の時に祖母が消毒に使ってたなぁ。学問は進んでいるところでは進んでいても、反対に後退している界隈もいっぱいあって、教育と介護どちらにカネを回すって子供はカネ持ってなくてお年寄りは持ってるって話ではあるからね。

 どうしようもなくやるせなくなったので今日はここまで。


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