ふと我に返ったように人生の意味をあらためて考えるのだが

最近はこじんまりとした暮らしに満足している。

ブログを書いてプレステで遊んでダイソーでたまにつまらない物を買い朝食はパンとネスカフェバリスタで淹れたコーヒー。昼はカップ麺か冷凍パスタ。夜は弁当。木曜にマンガ雑誌を取って農家の方が町まで売りに来ている弁当を分けてもらって、それに土曜日はマクドナルドでハンバーガーを食べる。テレビも見る。ギターも弾く。この繰り返しで充分。

しかし、ふとしたこと昔の仲間からメールが来てラーメンを食いに行って、お茶を飲みながら話を聞き、昔の仲間がそれぞれどうなっているかを知っていると、自分はいまのこのままで終わって良いものかとテレビを消してあらためて考えた。

人生の意味は他人から見た社会的意義とかそういうことでなく、その人が生きている間に体験したこととそれを通して考えたことつまり生まれてから続いている意識その全てがその意味だと思っている。あるいは両親の間に生まれ子を残して死ぬ。命のリレーのバトンを渡すひとりの選手として生きれば人生の意味は子に託され、永遠に続くのかもしれない。

だが、俺は何となく自分の人生がリレーの最後になっても、何となくではあるが意味を得たような気がする。それはお釈迦様のように悟ったからとかでなく、図書館に行けばいっぱい本がある。毎日テレビを見ている。知りたいことは検索すればヒントになることが山ほど出てくる。

もちろん、まだ分からないことだって沢山あるからそれを解き明かすために研究する人がいることも知っている。でもそうじゃなくて、無数の人の生きざまのダイジェストみたいなものをたくさん傍観して、自分はそのどれとも違うけど、そのどれをも追体験したのだと思うと、それらを凌駕する超体験みたいなものはなかなか想像もできない。