誰も必要としない下層のカードのゴミの山がMTGを支えている

デジタルゲームを商売としているとカードゲームを敵だと思うのか、某ゲーム企画の人が「MTGは大量のゴミが出るのが問題」というツイートをしていた。

だが、そんなにゴミの出るゲームを遊ぶ人が何故いるのか。大体分かった気になった。

誰しも、ゲームに参加する以上は勝ちたいわけだ。仕事としてお接待で負けるというのはゲーム外ゲームのマネーゲームで勝っているから負けられるのであって、自分が好きでゲームをしていて競う形を取っているのに永遠に底辺から脱出できないと自覚したら精神がイカれるので普通はその前に辞める。

だから、自分が本当は底辺でもそれを悟らせないために、もっと下を大量に作ってそこに人が寄り付かなくても「下がある」ということで精神の健全性を保ってゲームをさせるために普通の神経をしていたら弱くて使えないカードを混入させてそれを捨てさせることで「より良い選択をして、自分より下を切り捨てた」と思わせることにトレカのゴミの山の意味があるのではないだろうか。

俺が面白いと思った10年前のアラーラの断片のシールド・デッキは誰の目にも明らかな「当たりパック」に分類されるだろう。大会で参加者が多いので、準決勝まで進むと当たりは当たり同士で当たるので、結果は3位だったのであるが、5万枚から選ばれた60枚でも400枚から選ばれた40枚でも、まあゲームは似たようなもので土地を並べて怪獣を出して、殴り合った所に稲妻とか死の呪文とか地震とか竜巻とかハルマゲドンが起こって並べ合いの均衡が崩れて決着するわけだ。

もちろん、並べ合いの果てに怪獣がデカい多いで力押し勝ちすることもあるけど、おおよそトーナメント初戦で一番弱い人と後の優勝者が当たったとしてもそこまですごい差にはならない。同じような似たような怪獣が入っていて、よほどの不運で何も出ないで終わるということはあるが、怪獣を並べあってミニラ5体をキングギドラ10体で倒すようなゲームにはならない。

そう、参加して6パック相当90枚から23枚を選ぶ時に外れるようなカードはカードショップでも売買されずにゴミ箱に行く。そうでなくてゴミに気を取られているようなカードショップも昔にはあったが、ほとんどが廃業している。

カードセットがどんどん発売されると90枚中23枚のスタメンもやがて500枚のうちのゴミになる。プロツアーとかでもなかったら、そもそも500枚も買わなくても90枚買うだけで充分に面白いのだけど、それを超えたエグい集金システムが競技トレカの世界。

そんなプロプレイヤーでも、大会の催しとして90枚を主催者からランダムに配布されてそれで競技をするようなことがある。そこで、自分の実力だと思っていたらただの持ち物だったカードを奪われてはじめて、はっと実力に気づくものだ。

俺も山ほどカードを買って、リミテッド大会にも出てようやくそれに気付いた部類なのだが、そこから客でなくプロプレイヤーやカードショップに転じれないかと考えたことはもちろんある。

しかし、奈良の田舎で目新しいものであったトレカで小学生でもゴミはゴミだと判じてリサイクルショップのような役割を担うことは出来なかった。どちらかというと奈良でもボンボン趣味に新しくカードを買い足す人のほうが多いのだが、それを相手するプロプレイヤーもいなければ捨てられたカードを何とかする負け役の業者もいなかった。ただおもちゃ屋にパックが届き破り捨てられブームが去った。

大枚はたいてカードを買う人の払ったカネを負け役に給料として上手く回す仕組みがあったら、お金のために負け役を買う人が出来て循環しないものかなと考えるのだが、そんな仕組みを明け透けにして果たして誰が引っかかるのか。

だから、負け役という人が存在するのではなく、捨てられるカードの山という幽霊負け役を作り続けることがカードゲームのエンジンの排気ガスで有り続けるのだろうな。