「普通」と「常識」の対義語は「諸行無常」平均値や中央値が普遍的とは限らない

普通というのは中流と同じくして労働階級プロレタリアが他者と自分を比べるにあたり有閑階級ブルジョワを意識することなく革命の原動力となるような不公平感を持たないように作られた架空の概念である。

いや違うだろ、普通とは「いつでも、どこにでもあるもの」という簡単な言葉だろ。社会が階級化する以前からコモンとか普通という概念はあるだろう。

しかし普通というのは工業規格などが進んで社会全体に同じ製品が普及する以前にはどういう概念であったのか、想像がつかない。

俺は普通なのだろうか?しばし考える。

普通というのはモノに対する概念で、双子でも性格の違いなどがあるのだから、人に対して用いる概念ではないようにも思えてくる。

そこで冒頭に戻る。ボーダーというやつである。受験競争のボーダーは偏差値50。学歴がそのまま階級となった学歴社会のプロレタリアとブルジョワジーを分けるラインが平均値や中央値の偏差値50であり、余裕でセーフと全然ダメを除いて接戦である競争状態が普通なのではないかとも思えてくる。

つまり普通は高校で頑張って勉強して、偏差値50の大学に入れるか落ちるかドキドキしている状態で、合否が決まって大学生と落第に分かれたあとは同じ試験で平均をとってそのあたりという概念がなくなり、大学進学と就職に分かれるわけだから比較の軸が複雑になる。

そこで次の問題は年収になる。高卒18万、大卒22万。一般企業の年収は年齢かける万。そうすると高卒から働いて4年経って主任くらいになると昇給して22万になるから大卒が入ってくるまでに4年分余計にお給料がもらえるわけだが、学歴が旧態依然としていると高卒は製造や販売、大卒が管理職として後から頭にポンと乗る。

これらの常識は統計などを元にしているわけでなく、モデル企業から拡大解釈された普通の会社のイメージである。どこが最初にそうであったかはともかく、よそもそうだからと経営者が右に習えで揃えているのかも知れない。

普通とはいつでもどこにでもあるものだから、衣食住にまつわる服飾、食品、建築などの業界でこの右に習えが揃っていたら、それは日本の昭和後期から平成にかけて、どこにでもあるものだったのだろう。

ITも俺が入った時は新しいものだったが、ケータイの普及とともに身近になった。ところがハードウェアの製造は日本各所で手作りというわけでなく独占的に工場で生産され、ソフトウェアは米アップル社やグーグル社の独占状態である。つまり製品としては普遍的だが、その製造工程で働いているというのは特殊である。

このへんのことが、理解できない人もいる。俺は高校まで進学校だったが、大学ではなく家から近い東大阪の専門学校を選び、その受験偏差値は38くらいとされていた。しかし、いざ入ってみると授業が簡単だから卒業までの要件をすぐにクリアできて、自習に多くの時間を割けた。

世間からしてみると偏差値38の専門卒でもIT業界では年収が大卒を抜いている。何か儲けのカラクリがあって、それを盗み取れば自分もラクに儲かる。こういう邪推をした人もたくさんいた。大卒から就活をする以外に進路があるのを知らない人もいた。

結局、俺がしてきたことというのは昭和後期から平成にかけての一般常識にたいする理解である。ズレていたのは後から社会にピントを合わせて考えて分かったことだ。そして今後は「普通」が何であったかを研究するのはやめて、仏教的な「諸行無常」を理解することだろう。

「普通」とは戦後の経済成長期にプロレタリアがブルジョワジーに反感を持たないように作られた幻想なのだ。「中流」と同じような意味だ。

言葉の意味としては「いつでも、どこにでもあるもの」だが、そんなもの、果たしてあるだろうか。人生80年時代、生まれたときから死ぬまでに変わりのなかったことでも30代で子供を生むと子供とあわせて110年、孫もあわせて140年。

それでも変わらないものなんて、果たしてどのくらいあるだろうか。