最高難度のDルートを百式でクリア。10勝4敗の勝率。
近接で相手の射撃をステップで避けるとこちらの射撃が確定する。
戦略面での工夫でも先には進めるが最終面は3体高コストMSが来るので。
直角ハメや射線取りは考えつつも最後は反射神経のゲームかも。
エンディングはこれで4回見たわけだけど、原作アニメそこまで見てない。
いつからか積読して読まないから買わなくなったヤンジャンを久々読んだ。
マンガやゲームのレクリエーションで楽しめるほど健康な精神が取り戻せた。
何というか、物を言わずにコントローラをカチャカチャしているだけだと傍目からはアホなのか賢いのか区別がつかないらしく、ゲーム仲間だけがゲーム世界の中で狡猾さを競い合っている部分があって、昔は「一番強い人」みたいに紹介されて口下手なところがあってもフォローしてもらっていたのだが、最近はたぶん一番強い人ではないのでフォローしてくれる人もおらず、自分で語らないといけないのだが「この人偉い」みたいに周りから言われているだけだとたんに持ち上げているだけなのか本当に偉いのかわからないみたいで、偉くなくなってからのほうが「実は口が利けたのか」みたいに驚かれることもあって。
物言わずにふんぞり返っていれば全部周りがしてくれるようにおばあちゃんに育てられたし、親は口が悪いのでそれがうつって口を利くと嫌われたりであるが、そこらへんが読み書き中心の学校では筆記で回答を文章で書く国語の先生以外にはなかなか伝わらず、職業もキーボードで書面で語るプログラマー。しかも耳が片方悪くて早口や滑舌の悪い言葉だと聞き取りがちゃんと出来ない。耳と口が悪いのは頭が悪いと思われる。
だから、ゲーム世界での自分のことを分かってくれる人は敵だらけの世の中で家族より大事みたいに思っていたこともある。だけどふと自分にとって大切なのは何だろうと思った時にゲームにお金を払う同士の付き合いでその金額の大小で損得勘定を働かせた時に、親切にしてもらえるのは俺が払う代金が案外バカにならないからで、そう考えると家に来る牛乳配達のおばあちゃんとスーパーの紙パックの牛乳との値段の差で揉め事を起こし、親父に取ってやれと言われて渋々取るようになってから親父もまた周囲の人間に損得勘定でチヤホヤされているだけの「とっつぁん坊や」なのだなと思った。
しかし、そう思ってナメてから親父の別の良さも分かってきて、子供のときは家族の中で一番怖いから嫌いだったが、今はいちばん付き合う身内である。他の人、よその人とお金を出す以外にどんな付き合いがあるだろうか。俺の育ちは商店街であるから。そのへんから、仕事も結局俺が働いて会社が儲かる内からしょっぴいて給料が出ているだけだとは思うが、収支の面では働いたほうがプラスになるから我慢していたけど、会社づきあいも結局は厳密な損得では損と思っている。得な付き合いを考えて、せめて五分の付き合いが出来る相手と付き合うようになると、プレステでいいなってなった。
そして、ゲーセンに通っていた頃には雑魚敵だと思ってやっつけていて憎まれた全ての人こそ、実は俺が100円勝っているわけで、本当は敵ではなくて五分以上の付き合いをしてくれた人々なのかもしれないと思い返すわけ。たった100円ではあるけど、それは俺が牛乳配達のおばちゃんに1回払う値段とスーパーで紙パックを買う差額と似たようなものかもしれない。怒って不機嫌や悪態を俺にぶつけてくる人こそ甘い言葉をかける人より本当は味方なのかも。難しいね。人付き合いって。そう言葉にしてしまうと、じゃあ悪態つけばいいの?みたいな詐欺師みたいなやつだっているからこじれるんだ。
そんなわけで、ゲーセンに行かずに家でひとりでPS2で難関ステージをクリアしたからって自慢する相手もいないからブログを書いているのだが、そういう意味で日本中のゲーセンを巡っても見つからなかった俺でも勝てない相手みたいのは、案外家でひとりでプレステで遊んでる人の中にいるかも知れないわけで、探す気も最近じゃなくなったけど、案外ほっそりと繋がっているのかもしれない。