世界がマンガやドット絵に見える時がある

 信じてもらえるかは分からないが、専門学校で3DCGモデリングを始めた時に河内小阪の駅前のロータリーにバスが入ってくるのを見ていると、不意にバスの輪郭がワイヤーフレームという3DCGの骨組み線画に見えてきて、見えていないはずのバスの裏側や奥側のタイヤまで「きっとこういう風な構造なんだろう」と思って見ていた。

 その話を学校ですると皆に「お前もう病気やわ」という人もいれば「ほう、そうなったか、早いな、そうなるらしいぞ」という先生もいた。今からすると先生の悪い冗談だったかもだが、その後すぐに発表された映画マトリックスでは主人公が世界を見るとき電話回線を繋いでグリーンディスプレイの0と1に全てが見えてくる演出であった。

 そんなことを思い出したのは、久しぶりに漫画を描いて、資料としてドット絵の画集を見ていたときに、恐らく画素の荒いデジカメで撮影してドット絵で書いたことにしたのであろうと見破ったつもりのドット絵本にドットでデッサンして着色してゆく手順を事細かに記したページなどもあり「もしかしたらドットプットで全部描く技術もあるのかもな」と思って寝た。

 その翌朝がつまり今朝なのだが、庭でタバコを吸っていると停めてある壊れた自転車や干してある洗濯物のシャツなどがドット絵に見えたり、漫画の輪郭線が見えたりしてきたのだ。クラクラ来て、我に帰り、またクラクラ来て、やがて庭の風景全てが絵画に見え、台所の勝手口に帰ってきた頃には美術館に行って帰ってきたような感覚になった。

 そう思うと雑然として俺の部屋も本棚の色々の本の背表紙をざっくり油絵風にすると、案外と今のままでも絵になるように色を選んで本を並べているのかもしれないなと思う。

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 ドット絵を作るには今のデジカメは画素が多すぎる気はしたが、当たり前の話でソフトでモザイクをかけて色相や彩度をいじると昔のトイカメラみたいに撮れる。撮ったと言っていいのかも疑問だが。こんな本棚です。

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 まあ実際にはこの程度のものなのだがな。子供の頃から今までのもの。ブックオフに折ってしまったものなど持っておけば良かったと後悔したこともあるが、読まないものもあるし知識のアップデートのためには片付けて入れ替えた方がと思うこともある。難しい本を読むと読むだけで勉強した気分になるが、複雑な体系を組み立てたロジカルなものではなく、パズルのように難解に思えても自明の事を迂遠に書いてあるだけのものもある。

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 この写真は机の下の本棚。

 ブックオフダヴィンチコードを100円で買ってきたら本棚にモナリザの表紙を100円で増やすことができるかもとか考えだすと、読書としては邪道になるな。表紙や背表紙が絵として綺麗なのも大事だが本は中身である。美術と学問は別と考えるか、やがて統合されるものと考えるか。

 子供っぽい本を大人になったら恥ずかしいからと手放す気持ちもわかるが、大人になって買って読まない本よりは子供の時に読んで大人になるの成長を助けてくれた本の方が役に立った本であるとも言える。つまりそういう本の中に自分の考え方の骨格と、無意識に刷り込まれた何らかの間違いがあるのだろう。読み返すために置いておくことは大事だと思う。


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