勝負師としては理解されたら負けよね

 孤独で寂しくて誰かに分かって欲しいと願いながらも、対戦ゲームの読み合いで誰にも読まれたくないという矛盾は分かってもらって甘える人格と対戦者としてのゲームの中の話がそれぞれ無関係で初めて成り立つというか、その両者が分かって応援して欲しいみたいに接点を持ち始めた時に「こういう風に戦って欲しい」というオファーに伸るか反るかという身内との心理戦も絡み出して、結局の所は勝って欲しいけど負けてあげて欲しいみたいな応援者の矛盾や勝つとその後調子にのるから応援しながら本当は負けて欲しいというところが妻帯者ならまあいいだろうが独身で両親と兄弟や友達にご近所との人間関係の袋小路だと思った。

 アマゾンで頼んだものが発送されないメールが来ない後から頼んだものの方が先に着いたとか色々とイライラしながらもチョコレートとコーヒーとおせんべいでやり過ごし推理小説アクロイド殺し」をしおりのページから5章の終わりまで読んだ。

 若い時というか大阪まで電車通勤していた時は車内の60分平気だったしもっと軽く読めた気はするが、正直言って読んだ記憶はあるが内容は大して思い出せず、今読んでいる本の方がゆっくりだが入ってきている感覚はあるよな。いやそりゃ20年とか経っているわけで20年前から15年前までは覚えていたかもだが今となっては印象的なシーンやセリフをほんの少しだけ。

 頼んだものが来ないから積読が進むということは注文通り来ていたら積まれたままなわけで、最近はポチポチとモノを買うことも減ったのだが、それでも消化が進むと深層心理で我慢してきたものが噴出するように「やっぱ欲しかったよな」と買う。その間にも新製品も発売されるが、以前に我慢したものよりは放って置きやすい。

 我慢して得たものが貯金で、その折々に買っていては今ほど貯まらないわけだが、引き換えにストレスが貯まって経験としてはどうかな。つまらないことでもやり切った感を持ちつつ、人生でどれほどのことが出来るだろうという距離感が、もう後は老いていくのかなとか。どうしても今から出来ることの中でも将来のためというより若い頃やり残したものを消化する感じの選択ばかりして、若い気で選ぶ趣味の先に年に不相応な感じはしているが、まあそれでもそれが俺の40代で今の年寄りの40代の趣味とは違っていても悪くはない。ただ、今の20代とかとかぶったりすると恥ずかしい感じはするが。

 NHKロシアの国内放送が流されたが、NHKの情報も恣意的で乗っていいのか米よりなのか、簡単に言って株や投資の情報源として先見性はあるのかと考えると、事後報告的に目立って上がった下がったという報告が来て「遅いよ」と思うだけだし公共放送で誰でも見られるものに先見性などあったとして群がると競争としての意味はほとんど無くなるわけだし国営放送なら国債がいちばんって落とし所になるだろうし、ニュートラルな情報とはと共同通信社など見てみるとロシアのニュースもウクライナのニュースもなく、そりゃどちら寄りになっても利害があるなら触れないって話になるものよねと思って今日のニュース読みはおしまいとした。


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