やる気スイッチ「お前はまだ半人前だ」

 俺のことで申し訳ないが、今までの仕事のモチベは「それが何の役に立つ?」とか「それではまだ食わしてもらっている半人前だ」みたいな両者は厳密には全然違うかもだけど、何の役にも立たないことを仕事だと認めさせるにはそれ相応に脅しになる仕事量が必要みたいなモチベで色々のことに取り組んできた。

 ことゲームとか音楽を始め芸術全般もそういう時代があったかもだが、俺の生きた時代は芸術家という生き方もゲームクリエイターみたいのもそれなりに儲けを出しているように見えるところがあって、一攫千金でそれを狙うってのは社会認識としてあったと思う。

 そしてその意味では一攫千金では無いかもだが、ある時には食えるボーダーに達していたと思う。ただ、そこまで到達するのが目標でもともと親に甘えて生きていたし親もまだ元気だったので、ひとまず目標達成したから親が元気なうちは甘えて尻に火がつくようなことがあったら復職しようみたいな目論見があったっと思う。

 そうして今の生活があるのだが、このブログも趣味だったものが広告業として成立して、成立というのは収入があったということだが、支出を見るとまだそれ単体では負けていて、手広くすることでひとつひとつ屁のツッパリにもならないようで食費だけの生活にインフラ代金を引いて、貯まったお金でゲームを買うということをしていた。

 そのうちにそこそこやりくりのバランスが取れて来て、コンビニ飯をスーパーの弁当にしたり、貧乏なのか金持ちなのかで行くと子供の頃中流でいっときは極貧だったけど今もマス層だけど親父と同居で世帯主が親父とするとミドル層になる。

 これ、自分が支えるとなると収入がわずかにあると言っても何かもうちょっと工夫しないとなってか、20代はマンションに住んで家賃を払っていたから職を与えられて不動産業も回っていたのだと思うし、マンションを借りる以前は近鉄なりJRなりを使っていたから鉄道会社も回っていた。

 経済循環するからそれで儲かる業種の人にお金を返してもらう形で商売は成立することが多い。それがサラリーマン貯金無しの「使えばまた入ってくる」という生き方だった。俺は金を貯めてフリーランスになり、貯金があるうちは遊んで無くなったらまた働くという風に変わり、しまいに生活費を押さえてこのブログや趣味開発にゲームやギターに没頭して、ついぞや仕事をもらっていた会社の社長が歳でポックリ行って復職のためにネット求人とかを試している。

 貯金はあるし収支で行くとギリギリ以上に増収傾向だけど、サラリーマン時代のランチ980円に帰りがけゲーセン3000円みたいのが、スーパーの弁当にスーファミやDSで遊んでスイッチは買ったけどPS5はネットでたまに値段を見て指をくわえるって感じだ。

 基本朝食はスーパーで賞味期限までの日数分パンを買いためているが、久しぶりに買いためが無くなりコンビニで自分の分のパンと親父の分と2つにおにぎりの誘惑に負けて3品買うと400円台で、このスーパーとの100円以上の差が世の中の月収16万と22万の差とどれくらい違うのかみたいなことを考えていた。

 サラリーマン時代月収25万の時でも月に大卒22万より3万多かったわけで、それだけでも毎日パーティみたいな使い方だった。

 楽しかったけど、それらは酒代と飲食費ではなく友達ごっこ代だったのだろう。貧乏だったから友達になった人に金持ちになってたかられたって思ってたけど、はなから良い高校出てバイトだったからたかる気で近寄ったのかもしれないと邪推したりもする。

 極貧時代には古い友達を反対にメシに誘っておごってもらうことを覚えた。その友達は昔の遊び友達ではなく学校時代の旧友で仕事をしている友達が多かったが、やがて愛想を尽かされたのだろうなと反省もしている。しかし、極貧になって頼って見ようと思わなければそれ以前から連絡も取っていなかったし、けど連絡を取らずに頑張っていれば歳食ってから同窓会でもっと盛り上がれたかもしれない。

 なにはともあれ、このブログも評点が付いたことで認められた思いからやり切った感でやる気が減衰していたが、他愛のない話でもこうして書き続けようとしてみた。

 楽天と契約してもらったお金はまだ200円でスーパーの楽天ポイントカードのポイントの方が高いくらいなのだが、それでもグーグルからもアマゾンからも最初はそれくらいだったし、プロ野球からメジャーに行くのではなくメジャーより日本で認知されたとかいうと大げさだけど、テレビポチったら日本ハム楽天が5-0で勝っていたりして、もうちょっと頑張ろうってか俺結構頑張ったんじゃね?と思えた。


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