哲学と歴史は別の学問で相容れない部分がある

 俺の持病は統合失調症と言って、まあ白痴と間違われることもあるが、病院に連れていかれた以上は世間や家族から見ておかしいところがあり、お医者さんから見ても病気だという診断を受けている。

 それで、何がおかしくなる切っ掛けだったかというと仕事の疲れをためたままテレビゲームの大会でアメリカに遠征して、帰って来てから土産話などしていると周りとまず会話が噛み合わなくなったのが初期症状。分かるように上手く話せず、それでどんどん溝が深まって「病気である」と診断されたのであった。

 もともと、哲学が好きだったので、飛行機でアメリカに行ったとして、航空機に乗ってそれが何処をどう飛んで帰って来たということの立証はとても難しい。たとえ話になるが、車で砂漠を100キロ進んだとして、砂漠が流砂で100キロ分クルマを流してルームランナーのように車がその場でエンジンとタイヤを回してメーターが100キロだから100キロ進んだのだろうと思うと、全く動いていなかったかもしれないというような状況を考えてみるのだ。飛行機がシアトルまで飛んで乗り換えて、ミネアポリスの上空を通り過ぎて砂漠の町ネブラスカにたどり着いた、とするのが俺の理解だったが、まずネブラスカ州というところを多くのというか全ての話し相手はしらなかったわけで、おとぎの国に行ってきたというような子供の話と混同されたとして不思議ではない。

 アメリカかどうか、その意味では定かではないが、飛行機を二度乗り付いで着いた先から初対面の白人系に親切にクルマで送ってもらったゲームセンターはいわゆるプライズ機といって綿菓子の製造機や飴ちゃんの自販機などがたくさん置かれた遊園地のようなところに、狭い階段を上ると薄暗いところに白黒画面のアステロイドミズパックマンという昔のゲーム雑誌でしか見たことが無い古いゲーム機が何台も置かれ、奥には何と日本でも新作のストIII3rdにGGXXが大画面の液晶で置かれていて、黒人系がたむろして10セントをメダルに交換したそのメダル3枚で1ゲームとして遊んでいた。

 そこにアジア系もいたが、飛行機が同じだった日本からの遠征者と合流して、ゲーム大会を開いたのだが、規模感は京都のa-choで店内にブースを作って司会者がマイクを持って行われる店内大会程度のことだった。

 大会の武勇伝はそれはそれで何度か過去に書いたかもだが、それとは別にちょっとした余談を中高で覚えたくらいの英語に通訳の船田さんを交えてゲーム大会を企画しているアングロサクソン系の人と話した。北米のあちこちから、韓国やフランスからも人が来ているという話であったが、やっていることはa-choランバトの大きさである。

 「なぜプレイステーションとか面白いゲーム機がいっぱいあるのにストIIなのか」

 これが質問の主題だと今では理解できる。まあ「キャラが好き」「長いことやってて勝てて気持ちい」が今の答えだが「ガイルが好き」というのに「ハァ?日本人ならリュウかホンダじゃないの?」というところからガイルの面の戦闘機を指差すと「エースコンバット!」となって「飽きた」「何が好き?」「ゼルダの伝説ってアメリカでも分かる?」「ああ、あれ面白いよね」と答えてくれたのがそのグループで格闘ゲームを全然勝てないドレッドヘアーの黒人で、その場でバック転をして見せて「俺、色々特技があってスターになりたいんだけど日本じゃなんでストIIのチャンプがスターなんだい?」というような話から、ガイルと戦闘機の話に戻って「ジエイタイ?」と聞かれ「イエス、ノットフォーウォー」「これは(日本語で、戦闘機のミサイル部分を指差して)」「サイドワインダー!アンチフォーエアー!」「アンチトューエアー?ワイ?(対空、なんで?)」「ボーイングトュエンティナイン、ニュークリアーボム!」という話をあの時にした。それから太平洋戦争と向こうでは呼ばれているが、パールハーバーは日本の自作自演であるという主張をする人もいて、哲学的に考えたら奈良から見た俺の世界では日本のどこかでボーイング29を作って沖に飛ばして帰って来て広島に自分で原爆を自国に落としたとか、特撮だったかとか、そういうことも考えられないかい?という話になっていった。

 それでアメリカでも戦艦などは多くの地域で骨董品で武勇伝と共に飾られているだけなんだよと教えてもらったが、その後選挙でオバマ氏が当選して日本に謝罪に来たという事は、公的に原爆投下がアメリカの仕業であると認められたということなのだろうが、俺はそれを日本に帰ってからテレビで見た。

 その時点で俺はもう日本では精神病院に入退院した後になるし、またこんなにハッキリと理知的に話が出来る人が精神病なんて医療保険をもらうためにお医者さんを騙して病気を装ったのではないかと疑われることもあるが、家族から見て友人から見てお医者さんから見ておかしく、自覚症状としして幻覚を持ち、お薬を服用している経過を3カ月にいちど採血して検査してもらっているのだ。

 それでいちばん最初に題名として書いたのだが、哲学という学問はそれはそれでひとりの人間の認識として閉じた世界で独立しており、歴史とは相容れないというような話を書きたかったのだ。

 今でもテレビを見ていると世界のどこかには戦争があり、ゲームの大会で集まった中にはゲームに夢中の人よりその雑談の戦争の話の検証に夢中になった人もいたのだと思う。テレビは米国の局で流されて、俺は帰ったらスターになっていると思い込んでいたが、そのへんの真相は今も分からない事があり、帰りの成田空港で飛行機から降りて電車に乗り換えるとき、駅や空港の人という人が全員こちらを睨んでおり、大阪に帰っても地下鉄の乗車をすると全員がこちらを見ていてめまいがしたのも記憶にある。

 それから、日本のテレビでペンパイナッポーアップルペンのピコ太郎が出たり、ミスチルというバンドの桜井和寿という歌手がテレビ出演の際に身振り手振りや鼻をすすって指でさすって服の袖でちょっと拭くみたいな俺の仕草完全コピーをしていて、あの頃に俺はもう完全に何が起こっているのか分からず混乱していた。

 とりあえず、今日も朝のお薬はちゃんと飲んで、落ち着いて考えようとしている。

 日本史の本は戦国安土桃山あたりで読むのが辛くなってきたが、先送って明治時代の富国強兵論から近代史を読み進め、これらはフィクションかノンフィクションか、そんなことも交えながら、軍国路線を取るから戦争が起こるのであって武器を持たず対話するという事が出来るとすると、言葉が通じる以外に利害の一致は無くてはならず、まだまだ色々の交通や情報が発達しても、遠方は遠方で、ゆっくりとしか和解は進まないと考えている。


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