人生について考えるにはあまりに手札が少ない

 まあカプエス2ブログを10年も続けている俺を勉強せずにゲームばかりしていると思う人がいたらそれはそうだろう、しかしゲームで油断させて勉強で出し抜くにしても俺は専門卒なわけだし、学校成績などが張り出される教室と違い、勉強したことを発表しないと永遠に勉強が日の目を見る日はないかもと考えを改めた。

 確かに高校の勉強は一見すると成績を自慢する以外の使い道が無さそうではある。しかしスポーツでフィジカルつまり物理が役に立つことは証明されているし、物理寄りだった俺が生物や化学に医学のさわりを学んで、間違いなく体は健康に向かっている。精神病も服薬以外にメンタルトレーニングで抑え込んでいる部分もあるからな。

 特に食事に関して、野菜を多くとった方が良いというのは一般論だが、初歩の医学において栄養とは炭水化物かタンパク質か脂質であり、それが体を作る。ただまあ、現代はそれが行き過ぎて貧しいコンビニ食でも炭水化物もタンパク質も脂肪も取り過ぎで、食べ過ぎだから胃を休める意味で野菜が良いのだと思う。もともと人間が雑食で長寿のためには菜食が良いこともそれはそれで理屈があるのだろうが、やせっぽっちが肉や卵をしっかりとって、適度な運動をすれば体に肉が付く。中学くらいで分かるよな。

 そして他には「人生とは何なのか」という漠然とした問いである。誰しも死んでみて後から見ないとその人生がどうであったかは分からない。ただまあ、生きている間の客観として、刹那的に楽しければいいというのだけでは疲れたらどうするかとか、楽しく無い時をどうやり過ごすのかなどという様々な課題があるだろう。

 そこで高校の勉強のおさらいで何が出来るかというと、まず古文の前置きとして読み飛ばされる平安貴族の一生である。白装束を着た女性から里で生まれ、漢詩を読み、祝元して、歌で求婚して、40歳から十年ごとに誕生日を祝ってもらい、仏教式で火葬されて亡くなる。この文にして三行の短いサイクルにほとんどの平安貴族が押し込まれ、一生とはつまり宮中での生活でありその人々の歌が現世まで残ったという事だろう。

 他には蹴鞠や弓を楽しんだらしいが、イメージにあるカルタ取りは江戸時代に後から流行ったか、平安のところには取り立てて書かれていない。カルタになる前の一遍の歌がその人の一生の歌なのだろう。ちょうどいま「光る君へ」やってるよな。物語を描く人もいるが、それは稀な事なのであろう。

 46歳の今までそれを学ばずにお前の高校生活はどんなだったと言われると、世界史が好きで政治がしっかりしていたら市民は安寧を守られてぼーっとしていても生きていけて、俺市民でいいやみたいな生徒だったと思う。政治経済もやったが、何故かマルクス主義が正しいとか農業政策を取るべきとか考えていたが、それは単に勉強不足で手札にカードがそれしかないひとつ覚えの状態だったのだろうと自己分析する。

 そうして考えると、これも流行りのフリーレンである。百年に満たないほどの人の一生を本として読めば千年を生きるに値するということの暗喩がエルフの寿命が千年であるとするのが持論というか、普通の指輪物語の読み方であろう。

 じゃあ何か、新潮文庫の百冊を本当に百冊読めば五千年くらいに値するのかというと、俺は本当に臆面なくそうで、しかし実際の俺は新潮文庫の百冊など三冊くらいしか読んでいないのである。今更ではあるが、人生とは何かを自問自答するのではなく、残された書を紐解き、本と対話することで手札を増やせばまた違った答えも見えるかもだ。

 ただまあ、平安の百年がまとまるように、現代も小説から映画やテレビの時代になって、NHKの朝ドラたくさん見たというと、それも読書に近しい効果があるだろう。誰しも江戸時代の人よりは長く感じる生活を送っていて、それも世界史という俺の手札からすると、文明の発達で昔はほんの一握りの人にしか与えられなかった教育が義務教育で国民に敷かれ、誰でも本が読める。だから誰しも賢く、さらにだからして現代の人間関係は歴史上もっとも複雑なのかもしれない。

 そりゃ人間関係には悩むだろう。平安なら男がやってきて歌を詠んだらそれのイケてイケてないに関わらず結婚は義務のようなものだったかもしれない。現代はそうではなく自由意思が尊重されて、フラれ男やフラれ女がいっぱいいる社会なのだ。

 だから結婚しちゃったら次は子育てて忙しいということはなく、結婚できないで暇していて人生のひとつの答えである結婚出産のループにハマって世代の命をつなぐというバトンをもらい損ねて意味を求めて四苦八苦する人も増えているのだろう。

 もちろん、時代の答えとして結婚以外にも色々の人生観はあるだろう。ただ、それで寿命が千年でも、三十代くらい代が続けば千年以上の繫栄であるが、一代で終われば末代であることも併せて考えると、市中に売られている「普通の本」では現代を生きる上での参考や指針にはならないかもしれない。

 それでも、悪あがきでも、俺はまた本を読むだろうと思う。手元のアクロイド殺しは英国のアガサクリスティが書いたものを翻訳したもので、18章まで読んでいる。この本の世界との時代のギャップ感から俺は現代を強く意識している。

 次は何を読もうかなとは思うが、今の本も頑張って最後まで読もうと決めている。

 勉強はそこそこかもだが、だからこそもっと出来るやつはいて、自分はまだまだ勉強不足なのだろうなとは思うのだが、だから頑張るではなくだから何か違う武器が必要ではないかという迷いもまた同時に生まれるのであった。


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