ああ、俺って常識無いのかもなぁ、みんなは知ってた?

 高校の学参で定価700円の国語便覧を最近くまなく読もうとしている。

 大体からして俺が高校の頃は理系でもセンター国語があって配点は現代文100漢文50古文50だったはず。これは俺の場合記憶で話しているが、記録をどう照合して確認するかというとどこに残っているかの調べ方も良く知らない。そんなもんだ。

 それで国語便覧には空海が唐文字を持ち帰るところは載っていないが、その後の平安での仮名の発明から記載文学や仏典の引用など国語の起こりが書かれているのだ。これはその大半が試験範囲外で、私学だから渡された教科書で自習で身に付ける内容だ。

 それで徒然草はこのブログの「どうしようもない話」の前身が「由無し事」であったのが「ひびのよしなしごと」から取ったものであるのだが、論文で「だから」を使うように指導されるなら、論理学の「だから」は数学で「ゆえに」であり逆説は「なぜならば」で漢字にすると「由」なので、よしなしごととは非論理的な内容であるということで、間違ってもここから何かを学ぼうとしないことと兼好が記した本なのだ。

 そうすると徒然草とは何かというと随筆で、その起こりは方丈記と取るのが正しいのだが、これも試験に出なくて徒然草がよく出て試験によく出るからということを過去問から学んで試験勉強をしていたら飛ばしてしまって絶対に学ばないように出来ているのが高校のカリキュラムで、方丈記には福原遷都なる歴史が刻まれている。

 平城遷都と平安遷都は日本史でも習う。けど福原って。いや大人になるとある事情で知ることになる地名かもだけど、都だったことがあるっての知らなかったなぁ。

 というわけでこれが今日の豆知識。

 今日の昼飯はコンビニの冷やしうどんで晩飯はギョーザの王将!みたいな文章と言ってよいか個人の日記の形式を取るのはまさに兼好の「よしなしごと」がルーツで、学ぶことが無いから反面教師にすべきものを国語の試験に出るからと聖典のように読み込み、それを模して書くからバカまるばれの今までの俺のブログだったりするのだ。

 しかし国語便覧は詳解ではなく日本文学の名著を並べた目録の形式を取っているので、本の内容を理解しようとすると途方もない読書量が必要となるように作られている。1冊は安いけどイマドキ古典にカネ出す気にはならんし数あるから高くつきそう、と思うならまあ図書館探そうかということで、高校国語は現代文8割くらいは取ってたつもりだけどそれはセンター成績だけで、真面目に自習した人とは雲泥の差がある。

 もう、何というかね、復習しようとするほど本当に1回卒業したんだっけかと思うほど知らないことが多すぎて嫌になってんですよ。百万年早かったとは言わずとも1500年くらいは早かったんじゃないかと。そして方丈記の著者の鴨長明だって、歌人を目指していちばんに成れずに辞めた人だとかで、歌詞というと秋元康阿久悠くらいしか出てこないテレビっ子に今更どうしろとと思うけど、桜井和寿だってヒットチャートを飛ばしたことあるけど浮世絵の人気が民間から無くなったように、流行りものというのはいかにも胡散臭く残りづらいものなのかなぁ、でも流行ったわけだからそれが本当ならオリコンチャートとかも歴史に刻まれんのかどうなんだか。

 よし、気を取り直した。オリコンチャート頑張れ!万葉集とか新古今を読むよりは邦楽チャートの方が楽しかったけど、それも最近飽きて来てそろそろ身近な百人一首くらいからと思ってんですが、もういっそ万葉集を全部読むのはあきらめて、と思うのが要約された万葉秀歌とかで時短しようとして、これが思うに杜撰なわけです。意地悪い。

 俺の経験上、必要十分とか計算して点取りゲームのように本を読んだ後、もういちどくまなく頑張ってみようと思いなおして開いた1ページが新世界だったてのは何度か経験してる。偏差値37の高校から東大を目指すとかマンガになってるけど、多少の相違はあれ偏差値の低いコンピュータの専門学校を出てから結局学校で何も学べなかったという気分で卒業して、そりゃ学んだことはあるけど自分の知的好奇心はもっと多くを求めていて、本をたくさん買ったり図書館にも通ったけど、月並みな表現で灯台下暗し。

 まあ、先が長そうで思いやられるけど、嫌になったり満足したりで辞める日も来るとは思うので、そこは今までの自分のペースでやって、終わらずに死ぬんだろうなと今は思ってマス。既にもう今死んでもいいくらいの心持ちですが、せいぜい頑張ります。


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